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盗作とは、価値の問題なのだ

 以前にも、なっちやオレンジレンジの盗作問題についてコメントしたことがありましたが、和田義彦氏の盗作騒ぎをきっかけに、改めてこの問題について考えてみました。

 もちろんぼくは、ちょっとでも似てたらすべてダメとか、逆に、芸術はすべて模倣だとかいう極論に組するものではありません。私の感覚からすれば、どう見ても、なっちや和田義彦はアウトだと思うし、オレンジレンジはセーフだと思うんです。ただ、なぜ自分がそう感じるかということを、少し分析的に考えみたら、一つ気がついたことがあります。

 それは、盗作問題というのは、似てるかどうかとか、オリジナリティがあるかどうかという観点で論じられがちなのですが、実は価値の問題なのではないかということです。

 考えてみればわかりますが、過去の事例から見ても、盗作が一番問題になるのは、

  1. あまり有名でない作品を
  2. 売れているアーティストがパクって
  3. 思いっきり売れてしまう

というケースです。

 なぜこれが、多くの人から見てズルいと感じられるかと言うと、もとも 90 の価値があるものを盗ってきて、10 だけ価値を付け加えて、100 以上の利益を得てしまう、というようなことをしているからでしょう。しかも、このような場合、オリジナルの作者は、その 90 の利益さえ得ていないように見えてしまう。

 逆に、売れてない作品を、売れていないアーティストがパクって、やっぱり売れなかった、というようなケースは、たとえ明々白々なパクリであっても、たいして問題にもならなかったりする。それは、もともとの価値が 10 ぐらいしかなさそうな作品だから、その上に積み重ねた価値が 10 しかないとしても、たいしてズルいことをしているようには感じられないからでしょう。

 それでは、売れている作品を、売れているアーティストがパクって、やっぱり売れたという場合は? というと、そういうのはパクってもすぐバレてしまうから、最初からオマージュとかカバーとかいう形式でやることが多いわけですね。この場合、利益もシェアする約束になっていることが多いので、やっぱりあまり問題にならない。

 つまり、盗作が悪質だと見なされるかどうかというのは、必ずしも、パクった側が積み重ねたプラス・アルファが多いか少ないかというだけの問題ではなく、盗作元の土台となる価値が多いか少ないかというのも、無視できない重要なファクターだということです。もともと、著作権というのは、価値のある表現を死蔵させず、社会で共有するためのインセンティブであると考えられますから、ある意味当然ですけどね。

 この説が正しいとすれば、たとえば、もともと 100 の価値のある作品をパクっても、さらに 100 ぐらいの価値を付け加えていれば、たぶん、それほど悪い印象はないんじゃないかと思うんですけど(^^)。

 ただ、それを客観的に判定するのは現実的には難しいので、極端なケースだけが訴訟になり、グレーゾーンの場合には、あいつなんかパクリっぽいのが多いよね~、みたいな世間的評価に任される、ということになるのでしょう。これはある程度やむ終えないことのような気がするんですよね。

 先の例にしても、もともと 90 の価値があったのに、不当に売れなかったのか、それとも、もともと 10 の価値しかなかったものに、90 の価値を付け加えたのかということが、簡単に判定できる方が珍しいぐらいで。そういう意味では、なっちや和田義彦の例は、かなり珍しい例ですよね~(^^)。

 もっと根源的なことを言うと、そもそも、オリジナリティとか差異とかっていう概念自体が、なんらかの価値観の産物なんですよね。そういう意味で、価値と無関係なオリジナリティなんてない。もちろん、それが値段と一致するとは限らないですよ。でも、「私にとっては、この絵はかけがえのない絵なんです」みたいなことを言われたからって、どんな作品にもオリジナリティを認めちゃったら収拾がつかなくなってしまう。したがって、それが値段に換算されるかどうかは別にして、なんらかの共通の価値観による評価というものを模索せざるおえないわけで。

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