« 松本人志をもっと追い込んでみよう | トップページ | テトリスに見る○的表現 »

動物化する 19 世紀

芸術をかりに二流の理性に高めたところで、その戦果はしれたものであり、所詮は理性そのものの営みである学問の地位を脅かすことはできない。自尊心の強い芸術家が安直に誇りを満足させようとすれば、自分を感性の側に置いて、積極的に理性に対する反逆の旗を挙げたくなるのは当然だといえるだろう。しかも、この欲望は時代の個人主義的な風潮に裏打ちされ、実際の芸術活動のなかで一種のイデオロギー的な力を持つことになった。理性は普遍的なものであって社会の日常生活を支配しているが、感性は個性的なものであって、通俗の日常生活に反逆する拠り所になると信じられた。その際、芸術至上主義者は、感性もまた生理現象として普遍的なものであり、感性的な熱狂はかえって個性を動物的な一般性のなかに埋没させてしまうかもしれない、ということを忘れていたのである。

(「人生としての芸術」山崎正和) 読み返していてなんとなくメモ。

 英会話の先生の話だと、インド英語は、他の国のネイティブにとっても聞き取りづらいらしいですね。concentrate する必要があるって言ってました。最近は、インドからオーストラリアにテレマーケティングの電話がかかってくることもあるそうです。日本で言えば、東京に東北弁や九州弁のセールスの電話がくるようなもんですよね。

|

« 松本人志をもっと追い込んでみよう | トップページ | テトリスに見る○的表現 »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

社会」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/10712172

この記事へのトラックバック一覧です: 動物化する 19 世紀:

« 松本人志をもっと追い込んでみよう | トップページ | テトリスに見る○的表現 »