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下妻物語

下妻物語 スタンダード・エディション 観る予定はまったくなかった「下妻物語」ですが、たまたまザッピングしていたらイントロの衝突シーンに目がとまり、結局そのまま最後まで観てしまいました。アイキャッチな画やギャグをつなぎ合わせてシーケンスを展開していく手法は、さすが優秀な CM ディレクターの作品だなあという感じですね。マンガ的な時間感覚を実写に逆輸入しているところは、マトリックスとかといっしょですが、これもなかなか成功してると思います。

 ストーリー自体は、お嬢様と不良の友情という、むかーしからある黄金パターンに、お嬢様の代わりにゴスロリを持ってきたというだけの話ですよね。もちろん、そういう古い酒を新しい皮袋に注いでいくというのは、エンターテイメント作家の永遠の課題であって、なんら恥ずべきことじゃないと思いますが。

 もっとも、そこまでなら、よくできた職人芸だというだけの話。この作品に、それを超えるものがあるとすれば、それは下妻の風景の撮り方にあると思うんです。

 下妻というのは、都会的な洗練された美しさとか、雑踏のもつ猥雑な豊穣さとかにはもちろん無縁だし、かといって、自然の美しさを声高に主張できるほど田舎でもない、非常に中途半端な田舎町ですよね。しかも、牛久大仏なんていう、なんか場違いなだっさい大仏(ゴメンなさい)が建ってたりして。

 それをこの監督は、もうなんか無理矢理ポップな画面に仕上げてる。色なんかもメチャメチャいじってますよね。ぼくら素人がフォトショップとかでデジカメの画像をいじってるうちにやり過ぎて失敗しちゃう、その寸前ぐらいまでいじってるという感じ。

 でも、考えてみると、エリック・ロメールなんかが撮るフランスの田舎とかが、ぼくらから見ると美しくみえるのだって、半分ぐらいは単なるエキゾティズムやノスタルジーかもしれないわけですよね。それだったら、ダサイとしか思えない日本の中途半端な田舎町だって、見ようによっては美しく見えるかもしれないじゃないか。いや、俺は断じてそこに美を見出してやるんだという、そんな作り手の強い意志が、この画面からは感じられるような気がするんです。

 ひょっとしたら、そういう姿勢は、この映画の根幹のテーマにも関わっているかも知れない。だって、冷静に考えれば、この映画の主人公のモモコは、かなーり不幸な境遇のはずなんですよね。子供の頃に両親が離婚し、引き取った父親はヤクザで、本人の性格もかなりひねくれていて、友達もいない。そして、その状況は、物語の最後になっても、実はほとんど改善されていない。

 にもかかわらず、この映画は、何か爽快感のようなものとともに、この子たちは今後もたくましく生きていくに違いないと視聴者に確信させて終わる。それは、ドラマやプロットの力というより、だっさい下妻をも無理矢理美しく描いてしまう画の力によるものじゃないかと思うのです。それはさらに、現代を肯定したいという、作り手の意思にまでつながってくるのかもしれない。そんな感じがしました。

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