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文脈無視

 Wikipedia の「坂本龍一」の項目に、いつのまにか「音楽観」とかいう項目が追加されていたので読んでみたけど、なんか視点が片寄ってませんか。

 教授は確かに現代音楽的な資質や教養を持っていたかも知れないけれども、実際に仕事の場として選択したのは、教授から見れば「保守的な」ポピュラー音楽界だったんです。同時代の空気を知らない人にはわからないかも知れないけど、当時のポピュラー音楽界では、少しでも前衛的な要素を盛り込もうとすれば、やれ教授は理屈っぽいとか頭でっかちだとか言われて拒否反応を示され、実際にセールスにも影響したりする。そういう中で教授は、少しずつ少しずつ前衛的な要素をオブラートにくるんで忍び込ませ、リスナーの耳を慣らしてきたんです。

 今でこそ、半野喜弘氏のように印象派以降の和声を使いこなす人がヒップホップの世界にまで現れ、それをポップスとして聴くリスナーも増えてきたし、逆に現代音楽をポップスとして聴くリスナーまで出てきたわけですけど、それだって、教授(だけじゃないけど)たちの長年の努力の賜物であって、そうなるまでにも 20 年以上もかかっているわけです。

 そういうポピュラー音楽側の努力がなければ、現在のように現代音楽や民族音楽が多くの人に親しまれることもなかったでしょう。それをまるで当たり前のように見なして、やってることが古臭いみたいなことを言ったって、そんなものは歴史的な文脈を無視した机上の空論だと思うんですけどね。

(ぼくなんかも、ヒッチコックを観ると「なんとかサスペンス劇場みたいだよな」とか思うんだけど、もちろん、これも歴史的文脈というものをまったく無視した評価であって、それと似たようなもんだと思う(^^))

 教授は現代音楽を否定したわけでも、ポピュラー音楽を否定したわけでもありません。むしろ、手法的には新しくても、一般のリスナーを無視した現代音楽界と、一般リスナーを重視するけれども、そのかわり「保守的」なポピュラー音楽界の間に立って悩み続けてきた人だと思います。それを勝手に現代音楽家とかポピュラー音楽家とかいう枠にはめて、規範的に評価したって、彼を歴史的に正当に位置付けたことにならなないと思うんですよね。もちろん、彼の音楽には常に、そういう様式云々を超えた美しさがあった (ヒッチコックの映像が今見ても美しいのと同じように)、ということも忘れてはならないですしね。

(ついでに言えば、ピアノがあんまうまくない、というのも昔から言われていたことですよね(^^)。もっとも、Casa のころになると、以前よりだいぶうまくなっているような気がするけど。)

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