« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

下妻物語

下妻物語 スタンダード・エディション 観る予定はまったくなかった「下妻物語」ですが、たまたまザッピングしていたらイントロの衝突シーンに目がとまり、結局そのまま最後まで観てしまいました。アイキャッチな画やギャグをつなぎ合わせてシーケンスを展開していく手法は、さすが優秀な CM ディレクターの作品だなあという感じですね。マンガ的な時間感覚を実写に逆輸入しているところは、マトリックスとかといっしょですが、これもなかなか成功してると思います。

 ストーリー自体は、お嬢様と不良の友情という、むかーしからある黄金パターンに、お嬢様の代わりにゴスロリを持ってきたというだけの話ですよね。もちろん、そういう古い酒を新しい皮袋に注いでいくというのは、エンターテイメント作家の永遠の課題であって、なんら恥ずべきことじゃないと思いますが。

 もっとも、そこまでなら、よくできた職人芸だというだけの話。この作品に、それを超えるものがあるとすれば、それは下妻の風景の撮り方にあると思うんです。

 下妻というのは、都会的な洗練された美しさとか、雑踏のもつ猥雑な豊穣さとかにはもちろん無縁だし、かといって、自然の美しさを声高に主張できるほど田舎でもない、非常に中途半端な田舎町ですよね。しかも、牛久大仏なんていう、なんか場違いなだっさい大仏(ゴメンなさい)が建ってたりして。

 それをこの監督は、もうなんか無理矢理ポップな画面に仕上げてる。色なんかもメチャメチャいじってますよね。ぼくら素人がフォトショップとかでデジカメの画像をいじってるうちにやり過ぎて失敗しちゃう、その寸前ぐらいまでいじってるという感じ。

 でも、考えてみると、エリック・ロメールなんかが撮るフランスの田舎とかが、ぼくらから見ると美しくみえるのだって、半分ぐらいは単なるエキゾティズムやノスタルジーかもしれないわけですよね。それだったら、ダサイとしか思えない日本の中途半端な田舎町だって、見ようによっては美しく見えるかもしれないじゃないか。いや、俺は断じてそこに美を見出してやるんだという、そんな作り手の強い意志が、この画面からは感じられるような気がするんです。

 ひょっとしたら、そういう姿勢は、この映画の根幹のテーマにも関わっているかも知れない。だって、冷静に考えれば、この映画の主人公のモモコは、かなーり不幸な境遇のはずなんですよね。子供の頃に両親が離婚し、引き取った父親はヤクザで、本人の性格もかなりひねくれていて、友達もいない。そして、その状況は、物語の最後になっても、実はほとんど改善されていない。

 にもかかわらず、この映画は、何か爽快感のようなものとともに、この子たちは今後もたくましく生きていくに違いないと視聴者に確信させて終わる。それは、ドラマやプロットの力というより、だっさい下妻をも無理矢理美しく描いてしまう画の力によるものじゃないかと思うのです。それはさらに、現代を肯定したいという、作り手の意思にまでつながってくるのかもしれない。そんな感じがしました。

| | トラックバック (0)

流行ってると言っても…

 せっかく mixi の会員データにアクセスする権利を得たので、先に mixi に入っていながらボクを招待してくれなかった不届き者がいたらイヤミを言ってやろうと思って、知人の名前を片っ端から入力して検索をかけてみたのですが、意外といなかったですね(^^)。もともとほとんど付き合いのない、むかーしの知人とかはいましたが(^^)。mixi が流行っているとかいっても、まだまだその程度なんですかね。もっとも、ボクはあまり友だちのいない、付き合いのせまーい人なので、そのせいかもしれないけど(^^)。あるいは、みんな偽名で入ってるとかね(^^)。

 でも、あのシステムって、陰からこっそり覗く、みたいなことできなくて、みんな証拠が残っちゃうんだから、ある意味、リアルの世界よりも透明度高いですよね。しかも、検索結果に表示されるのはニックネームだけで、個人を特定できるような細かい情報はプロフィールのページを開けてみないとわからないから、うっかり、昔ケンカ別れした相手のページとかに足跡残しちゃったりすると、気まずいよねえ。てか、そんなものは最初から検索すべきではないんでしょうね(^^)。

| | トラックバック (0)

水炊きと mixi

 土曜日、友人の誘いで、久しぶりに新宿へ。水炊きの「玄海」という店で一緒に食事。個室で一食 7,350 円の吟コースを食べる。食事にこんな贅沢をしたのは、アメリカから来た友人を、見えはって「うかい鳥山」につれてって以来である(^^)。スープは確かに美味しいと思うが、7,350 円の価値があるかと考えるとつい首をひねってしまうのは、貧乏舌のせいか(^^)。まあ、半分はサービス料なんでしょうね。給仕のおねーさん方は、みなさん上品な美人ぞろいでした。

 その友人が mixi に入っているというので、半ば強引に招待状を送ってもらい、念願の mixi 会員に。有頂天になって、さっそくあちこちと足跡をつけまくる(^^)。かわいい女の子の写真とか見ると、つい日記とかを読みたくなってしまうので、今頃そこらじゅうで、気持ち悪いオヤジ、とか思われてるんだろうなあ(^^)。このシステムがどれほど優れているのかは、多少疑問があるけど、しばらく遊んでみようと思ってます。

| | トラックバック (0)

資格商売

 ついに、SDL (旧 trados) までが、資格商売をはじめやがりました(^^)。MS や Sun のマネしやがって。あんなもん、別にべんきょーなんかしなくたって、使ってりゃ誰でも覚えるよ。でも、こういうのが普及すると、いつの間にか持ってないとびみょーに不利になってたりするんだよなー。くそいまいましい(^^)。

| | トラックバック (0)

わすれもの

 ハラカミレイさんの未発表音源集「わすれもの」を購入。一曲目「にじぞう」のイントロのへなちょこなモジュレーションにいきなりやられてしまう。え、よりによってなんでそんな力のぬけるモジュレーションかけんのよ、と思っているスキに曲の世界に引きずりこまれてしまい、その後も例によってあれよあれよという展開。

 しかし、つくづくこの人はへんてこりんなセンスをしている(もちろんホメ言葉です)。前に「脳ミソ整体音楽」という表現をしたことがあったけど、ホントにそんな感じなんですよ。一生懸命曲の展開についていこうとすると、「え、あれ、そんな、いやん、なんで、そうくるの?」みたいな感じで、そのうち頭の中が真っ白になってくる。それが不思議と気持ちいいんですよね(^^)。

 未発表音源集だというけれど、出がらしみたいな感じはほとんどしません。OpaQ とか Red Curve とかとあんまり変わらない完成度だと思います。

 しかし、この作品が iTMS のアルバム・ランキング 3 位なんだからすごいよね。つい十年前ぐらいは小室さんの天下だったのに、この十年でずいぶん遠くまで来たなあという感じがします。

| | トラックバック (0)

エレクトロニクス用語辞典

エレクトロニクス用語辞典  電波新聞社の「エレクトロニクス用語辞典」を購入したのですが、これはいろんな意味で惜しい本でした。

 まず、せっかく各項目に英語訳が併記してあるのに、英文索引がついてない。したがって、英文和訳にはほとんど使えません。

 また、なぜか主要部分とは別に、「組み込み用語解説集」が付録でついているのですが、両方通しの索引がないので、どっちに載っているかわからない言葉を調べる場合には、二回調べなきゃならない。これはまったく労力のムダ。

 説明自体は読みやすくて親切なので、あと英文索引と通しの索引さえつけてくれれば、何段階も商品価値が上がったはずなのに、そのひと手間を惜しんだばかりに、いま一つ使いにくくなっている残念な本です。

| | トラックバック (0)

フェミニズム理論辞典

フェミニズム理論辞典  ちょっとフェミニズム関係の用語を調べたくて、マギー・ハムの「フェミニズム理論辞典」を購入(リサ・タトルのも注文したのですが、まだ手に入らない)。理論辞典というだけあって、説明は詳しいですが、厚さの割に収録語数は多くありません。いわゆる中項目主義ですね。

 だから、たとえば、ダナ・ハラウェイは載ってるけど、サイボーグ・フェミニズムは載ってないとか、第一波、第二波は載ってるのに、第三波は載ってないとか、Misogyny は載ってるのに Misandry は載ってないとか、載ってる用語にやや偏りがあって、調べもの向きというより勉強向き。

 訳は、昔の「学者訳」に比べればがんばってるとは思うけど、ぼくなんかから見ると、やっぱり、あともう一工夫すればもっと読みやすくなるのになあ、と思ってしまいますね。だから、最近の本みたいな読みやすさを期待すると、ちょっと読みにくく感じるかもしれません。もちろん、これは内容の難しさとは別の話ですよ。まったく同じ内容でも、もっと読みやすく書けるはずだという話。いちおうその道の「専門家」に言わせてもらえれば(^^)。

 なんか手前ミソになるけど、訳文のことだけで言えば、こういう本も、プロの翻訳者に下訳をさせて、学者さんが監修するというやり方の方が、絶対いい訳ができると思うんですけどねえ。翻訳って、ほんのちょっとしたテクニックでずいぶん読みやすくなるんですけど、そういうのって、数訳さないとなかなか身につかない。でも、学者さんはそんなことしてるヒマないでしょ? てか、そんな修行をしてるヒマあったら、もっと本業の教育や研究に精出してほしいし(^^)。

 これは偏見かもしれないけど、学者さんってもともと頭がいいから、逆に読みやすい文章を書く意欲が低い人が多いんじゃないかという気もしないでもないんですけど。ぼくは頭よくないからよくわかんないけど、ひょっとすると、学者さんはとっちらかった文書を読んでも、素早く行間を読んだりして理解できてしまうから、それ以上わかりやすく整理しようという意欲がおきないのかもしれない。そんなことないかな(^^)。まあ、このへんは邪推。

| | トラックバック (0)

ええ話や…

 この「ええ話や…」は当然、ジャンク・スポーツの浜ちゃん口調で読むべきなんでしょうね(^^)。

| | トラックバック (0)

憲法問題非論理派宣言^_^;

 憲法改正問題について、やっと考えがまとまったので、書いときます(また友だち減るかも^_^;)。

 まず、基本認識として、もともと民主主義や憲法には逆説的なところがある、というのをおさえておく必要があると思います。たとえば、民主主義社会の質は、市民の質で決まるけれども、その民主主義的な市民を育てるのにいちばんよい方法は、実際に民主主義の社会で育つことだったりする。憲法についてもそうで、憲法は市民の合意の下に成立したということになっているけれども、その合意とは何かを決めているのが、憲法をはじめとする法制度だったりします。

 つまり、憲法と言う上部構造が下部構造を決める面と、市民の質と言う下部構造が上部構造を決めるという両面があって、これはサブシステムレベルでは顕在化しないけれども、憲法のようなメタシステムのレベルになると顕在化してくるので無視できない。これが大前提。

 さらに言えば、自分の国のことを規定する条項はまだよいのですが、他所の国が関与する問題については、もともと拘束力がないわけだから、せいぜい「国際平和を誠実に希求し…」てなことしか言えない。それ以上のことを書いたって、どこまで実現性があるかわからないわけです。他所の国から戦争を仕掛けられたら、粘り強く平和的に交渉する、でもいいし、実力で撃退する、でもいいし、無抵抗で降伏する、でもいいんですけど、そういうことを憲法に書いといたからといって、実際に実践できるかどうかは、そのときの国際情勢と国民や政府の質というパラメータに依存しているわけです。

 自衛隊の存在の是非についてそうです。仮に、世界平和を目指すというのが、メタ理論として日本人共通の合意だったとしても、その実現方法は一つではありません。自衛隊があった方が、国際社会で地位が得られるから、世界平和も実現しやすいという考え方の人と、いや、逆に軍備を持たないという立場を貫くことによって、国際社会で独自の地位を締めることができ、世界平和に貢献できるのだという考え方の人がいますよね。ぼくは、このどちらが正しいかと言うのは、メタ理論で一律に決めるべきものではないと思うのです。

 たとえば、もし海江田四郎みたいな、軍事的な才能が豊富でなおかつ世界平和に対する強い信念を持つ日本人がたくさんいれば、前者の方が実効性があるかもしれないし、軍事的な才能はまったくないけど、ネゴシエーション能力が高い日本人がたくさんいれば、後者の方が実効性があるかもしれない。逆に、戦争が好きなだけど軍事的な才能がないヤツばっかりだったら、前者を選んでもあまり意味ないだろうし、自分が死ぬのがイヤなだけで、他所の国の人はいくら死んでもいいと思っているヤツばっかりだったら、後者を選んでもあまり意味ないでしょう。

 シビリアン・コントロールの問題についてもそうです。憲法と自衛隊の不整合をほったらかしにしているから、モラル・ハザードが起きるんだというのも一理あるし、もともと憲法を守るという意識が無いから、不整合がほったらかしなのだという考え方もできる。このどっちが正しいかと言うのは、なんらかのメタ理論で決められるもんじゃないと思うのです。

 あるいは、こんなたとえをしてもよいかもしれません。泳げるかどうかは、実際に泳いでみなければわからない。畳の上の水練ではダメ、とよくいいますよね。もちろんそれは正しいのですが、だからと言って、生まれたばかりの幼児を鳴門の渦潮の中に叩き込むのは無謀でしょう。かと言って、絶対に溺れないという保証ができるまで泳がせなければ、いつまでたっても泳げるようにならないでしょう。結局、適当な時期を見計らって、泳がせてみるしかない。

 仮に、世界を平和に導くメタ理論があったとしても、それが実現するのが一千年後であるならば、今すぐに全面採用すべきではないでしょう。逆に、10 年後ぐらいであって、そこに至る道筋に確かな戦略を描ける人材がいるなら、世界に先駆けて採用すべきかもしれない。そういうことです。

 つまり、憲法を改正してよいかどうかは、なんらかのメタ理論で決めるべきものというよりも、実際に憲法を改正してもうまくやっていける人材がいるか、言い換えれば、国民が政治家や官僚を信頼できるかどうかで決めるべきだと考えます。この政治家や官僚なら、憲法改正後の海で泳がせても泳げる、と信じられれば、憲法改正に賛成してもよいし、信じられないなら反対する。

 もちろん、政策を実行する立場の人は、なんらかのメタ理論を持っていなけりゃ困るんですよ。そういう立場の人から見れば、自分や自分の仲間の能力というのも内生変数になるわけだから。でも、ぼくらみたいな、単に支持するかしないか決める立場の人から見れば、そのメタ理論を主張する人の能力というのも、外生変数の一つなわけです。

 そういうわけで、ぼくは、この問題の答えを理論的には決めないことにしました。ですから、政治家や官僚の皆さんは、憲法改正したかったら、ぜひとも私の信頼が得られるように行動してくださいませ。理論的に決めないという理由自体が理屈っぽいところが、いかにもボクらしくてよいでしょ(^^)。

| | トラックバック (0)

ボク、法律のことよくワカラナイ

 一夫多妻男が犯罪になるのなら、細木数子も犯罪になるんじゃないの? (ひょっとして星野 SD も?(^^))え、ならないの? 法律って難しくてよくわからないや(^^)。

| | トラックバック (1)

現場の知恵はあるのだろうか?

 昨日の報道ステーションでやってた、教育基本法改正以前から、愛国心の有無で成績をつけている学校があったというニュースを見て、さすがに呆れてしまいました。

 一応言っておきますが、ぼくは、愛国心を教えること自体には、必ずしも反対ではありません。それどころか、ファッショ的にならずにうまく愛国心を教える方法はないかなあ、と常々考えているぐらいです(^^)。もちろん、愛国心に限る必要はなくて、愛隣人心、愛社会心、愛人類心、愛自然心などのうちのワンオブゼムとしてですが。(また、それをどういう制度やるべきかどうかも、一応留保。(^^))

(要するに、完全に価値中立的な教育って成り立つのかなあ、それがほんとにいいのかなあ、という問題意識があるわけですけど、その話をしだすと長くなるのでまたの機会に(^^))

 そのぼくでさえ、愛国心を成績評価の対象にすることだけは考えていませんでした。というか、少なくともこれはやっちゃダメだから、というのが大前提で、だからなかなか難しいんだよなあ、と悩んでいたのですが、まさか、それを本当にやってしまう人がいるとは思いませんでしたね。そんなこと、やる前からうまくいくはずないって気づかないか(^^)?

 よくバラエティ番組とかで、「誰が何を一番愛しているかコンテスト」みたいなのをやるけど、あれがギャグとして成立するのだって、そんなこと誰も客観的に評価できないってことを、みんなわかってるからでしょ? それをマジメにやっちゃうというリアリズムの無さが信じられない。

 ぼくは、現場にはもっと「現場の知恵」ってヤツがあるもんだと思ってたんですよね。だから、教育基本法を改正したぐらいで、たいした混乱はおこらないんじゃないか、という楽観もないでもなかったのですが、そんなに現場が○○では、やっぱこの法案には賛成できないなあ(^^)。まあ、実際には、教育委員会だかなんだかがゴリ押ししただけで、現場の教師はぜんぜん乗り気じゃなかったのかも知れないし、あるいは、あれは非極めてまれな例外で、大部分の教育現場はマトモなのかもしれないし、そのへんの事情はよく知りませんが。

 「モラルの再生産」ということは確かに重要ですが、その手段は、アンモラルな行為というのを勝手に定義して、法律で処罰する、ということだけではないはず。ある意味、民主主義や市場経済がうまく回るのだって、その中にモラル再生産のインセンティブがビルトインされているからですからね。そのへん、もっと頭を使ってほしいものですねえ。

(もともと、制度によってモラルを再生産するという考え方にはある種の矛盾があって、その矛盾を解く鍵は、生物進化というメタシステムによって、人類にはもともとモラルがビルトインされている、というところにしかないはず。)

| | トラックバック (0)

トリビア

 シンディ・コーンって、ミシガンのロー・スクール時代に、アン・コールターと同居してたんだって。これってトリビアになりませんかねえ(マイナーすぎるか(^^))。

| | トラックバック (0)

機械工学用語辞典

 「機械工学用語辞典」という本を購入。同じ表題の本が技報堂出版さんからも出てますが、買ったのは理工学社さんの方。

 結論から言うと、悪い本ではないと思うのですが、残念ながら翻訳者向きではありません。収録語数は多いわりには、実務翻訳者がひっかかるようなマイナーな用語はあまり載ってません。実務翻訳者がひっかかるような用語というのは、たとえば、English thread (イギリス人ばかり集まる掲示板?) とか、top hat rail (帽子をかぶったレール?) みたいなヤツね(^^)。

 まあ、こういうのが専門家からみればトリビアルな用語なんでしょうけど、そのトリビアルな用語を訳せるかどうかが、実務翻訳者にとっては結構重要なのです。 もっとも、これを書いた人は、翻訳者のために書いたわけじゃないんだろうから、ないものねだりだというのはわかってますけど(^^)。

 語義の説明は丁寧で、内容もしっかりしているようですから、勉強用に使うにはいい本なのかもしれないけど、それにしても、値段とのバランスが少々悪いように感じます。

 そういうわけなので、翻訳者の方には、勉強用に買うのでなければ、お勧めしません。この本を買う金があったら、まずは、日外アソシエーツさんの「機械・工学17万語 CD 」か、日刊工業新聞社さんの「機械用語大辞典 [CD-ROM]」を買うべきでしょうね。 収録語数をとるなら前者、説明の詳しさをとるなら後者。

| | トラックバック (0)

空飛ぶスパゲッティ・モンスター教

 そ、そーか、地球温暖化は海賊のせいだったんですね! 感動しました。ぼくも信者にしてください!

| | トラックバック (0)

役職の奇奇怪怪

 翻訳をしていてもっとも悩むことの一つに役職名の処理があります。役職名というのは、ホントにややこしくて、イギリスとアメリカでも違うし、同じ国の中でも、時代や地方によって違っていたりします。

 特に、軍隊と警察、そして聖職者のランクはいまだによく理解してません(^^)。キリスト教の聖職者については、八木谷涼子さんという翻訳者の方が書かれた、「知って役立つキリスト教大研究」というすばらしいリファレンスを入手していらい、これに頼りっきりなのですが、軍隊や警察についてはまだいい本が見つかっていません。

 今も、constable という単語をどう訳そうかと悩んでいます。この Wikipedia の記事を見ると、イギリスでは巡査みたいなものらしいのですが、アメリカでは州ごとに違うとか書いてあって、しかも歴史的には警官のようで警官でないような存在だったらしい。治安官という訳がわりと誤解を招かなくてよさそうですが、どのぐらい定着しているか微妙だし、保安官と間違えたとか思われそうでヤなんだよね(^^)。

 仮に、警官、治安官、保安官、コンスタブルの4つの候補から選ぶとすると、ここで、考えなくてはならないのは、一般の日本人に対しての情報量とノイズの少なさのどちらを優先するかなんですね。

 たとえば、日本人が警官と聞けば、日本の警察官を思い出すだろうし、保安官と言えば、西部劇なんかに出てくる保安官をイメージするでしょう。つまり、コードにのっかる情報量は多いのですが、文化のずれによるノイズの発生する率も高いということになります。したがって、誤差が大きな影響を与えなくてすむような文章ならこれでよいが、微妙な誤差が致命的な文書ではどうかという感じになります。

 逆に、治安官とかコンスタブルとかだと、日本ではなじみのない職名なので、日本人はあまり先入観を持たないでよみますよね。ですから、余計な誤解は生まなくてすむのですが、その分、同じ文章の中で十分に説明されていないと、読者には本来伝わるべきものも伝わらない。つまり、ノイズの発生率は低いけれども、コードにのっかる情報量自体も少ないということになる。

 もう一つ、学術的にはどう定義されているかということも一応考えなくておく必要があります。たとえば、アメリカ歴史学の専門書で、constable を治安官と訳すのが定着しているのであれば、そういうのも一応尊重した方がよい。そうすれば、読者が後で疑問をもったとき、自分で調べることができますからね。つまり、送信時の情報量は少ないかもしれないけど、後で別の伝送路からコード表を送ることによって、情報伝達量を増やすことができるわけです。 この場合、その場で伝わる情報量と、後で伝わる情報量のトレードオフを考える必要があります。

 あと、治安官と漢字で書くと、字面からなんとなく意味が想像できるけど、コンスタブルのようにカタカナにしてしまうとそうはいかない(もっとも、Wikipedia によると、この stable は馬小屋と同じような語源らしいので、日本で言えばお馬番みたいなものかもしれない(^^))、というようなこともあります。もっとも、これも厳密には諸刃の剣で、想像できるからこそ誤解の種にもなる。カタカナ言葉が大量に生産されるのは、下手に漢語にするとかえって誤解を招きやすいということもあるんですね。労多くして実り少ない作業というか。

 だから、翻訳っていうのをシャノン的なモデルで考えると、コード自体は正確に伝わるけど、コード表を送ろうとすると、必ずノイズがのって正確に伝わらない、みたいなモデルになるんですね。しかも、そのノイズののりやすさは、コードによってみんな違う。したがって、コードの伝送効率と、コード表の伝送効率を天秤にかけて考えなくちゃならない。これは、池田謙一氏が「コミュニケーション」という本で書いてたモデルともちょっと似てるんだけど、さらにコンテキスト依存性が高いというか。

| | トラックバック (0)

時間の価値

1年の価値を知るには
卒業試験に落ちた学生に 聞いてみなさい

1ヶ月の価値を知るには
未熟児を産んだお母さんに 聞いてみなさい

1週間の価値を知るには
週刊誌の編集者に 聞いてみなさい

1時間の価値を知るには
会うのが待ちきれない恋人達に 聞いてみなさい

1分の価値を知るには
電車やバス、飛行機に乗り遅れた人に 聞いてみなさい

1秒の価値を知るには
事故で生き残った人に 聞いてみなさい

千分の1秒の価値を知るには
オリンピックで銀メダルを獲った人に 聞いてみなさい

時間は待ってくれません
あなたの持っている全ての時間を大切にしなさい

そしてここで全てを発散しなさい
http://studio-rain.cocolog-nifty.com/blog/
受信拒否
hozu@fa2.so-net.ne.jp 

これはなかなかシャレてますねえ。なんか元ネタがあるのかな?

| | トラックバック (0)

The Icelandic Phallological Museum

 この The Icelandic Phallological Museum というのはちょっとすごいですね。これは 18 禁にしなくていいのかな。いいんだろうね、たぶん。意外と日本語のページでは話題になってないのが不思議なくらい (google の日本語検索だと 6 件しかヒットしない)。

 ぼくの中では、アイスランドと言えばビョーク、みたいな感じで、ほとんど何も知らなかったんですけど、なんかこれを見たら、ちょっとアイスランド人に親近感沸いてきましたね(^^)。日本の寄生虫博物館の人と対決させてみたい(^^)。

| | トラックバック (0)

軽井沢シンドロームSPROUT

軽井沢シンドロームSPROUT episode1 (1)  へぇー、あの「軽井沢シンドローム」の続編なんてやってたんですね。まったく知らんかったです。

 いや、鴨川ツバメさんみたいに、普段は八頭身なのにギャグになると二頭身になる手法は誰が開発したのかな、とか考えてて、そういや、たがみよしひさ氏はその正反対だったなあ、なんて思い出して、検索してしまっただけなのですが(^^)。

 たがみ氏の場合、マンガの内容にはたいした影響は受けてないんですが、絵のセンスとか若者風俗の描き方とかにはかなり衝撃を受けましたね。まあ、ある意味ナンクリとかのマンガ版にすぎないのかもしんないけど、当時の少年マンガって、今考えると信じられないほどファッション要素皆無でしたからね。女の子はほとんどみんなオカッパだったりとか(^^)。だから、ウルフカットの女の子が主人公だったりすると、それだけで「おおっ」とか思っちゃう(^^)。あの都会でも田舎でもないオシャレな軽井沢の描き方とかも新しかったね。ぼくなんかあれで、軽井沢ってすごくいいとこなのかと思っちゃったもの(^^)。

 そんなわけで、個人的には、たがみ氏はマンガ表現史的には結構重要な作家ではないか、という気がしているのですが。夏目さんあたりのご意見を一度聞いてみたいものです。

| | トラックバック (0)

「ダメおやじ」と父権

 おお、「「ダメおやじ」がギャグだった時代」というページに、まさにワタクシの疑問の答えが。

「ダメおやじ」が始まった1970年に父権が失墜した、とも受け止められますが、実はそうではないでしょう。あまりにも残酷で、小馬鹿にされた「ダメおやじ」というギャグマンガが成立する背景には、「こんな親父、いるワケない」という前提があります。父権という権力が残っているからこそ、とんでもないダメ父が笑える存在になるのであって、父権が失墜してしまった今なら、ひたすら寒々とするだけでギャグにも何にもならない。連載一回目の1ページ目の肩には、編集部が書いたこんなあおり文句が掲載されています。「なにをやってもバカにされ、おやじの権威はメッタメタ!!」。……おやじの権威が存在していたことを裏付ける何よりの証拠ではありませんか。

 なるほど! 確かにそうに違いない!

 そーか、かつては「父権」なんてものがあったのだなあ。すっかり忘れていたよ(^^)。

| | トラックバック (0)

I hate myself!

 There's no cure for a fool. I am ashamed of myself... No one calls me a 'rather bad' guy (they say chicks are attracted to them), but someone may call a 'rather useless' guy, instead...

 ちょいワルおやじとは誰も呼んでくれないが、ちょいダメおやじとなら呼んでもらえるかもしれない。。。って、そんなの自慢してる場合じゃないよ~。

 そういや、むかし「ダメおやじ」っていう、オヤジが鬼嫁にてってー的にイジめられるマンガがあったんだけど、あれは最後どうなったんだろう。なんか、途中でオヤジが悟りをひらいて、イジメられなくなったような記憶があるんだけど。でも、今考えると、イタすぎて笑えるようなマンガじゃないよなあ。なんであんなのがギャグとして成立してたんだろ。

「も~いやっ、こんなせーかつ」の沖田そうじ君だって、毎週毎週イジメられてたけど、こっちは多分今読んでも笑えるんだよね。もっとも、あれだって現実だったら、やっぱり笑い事じゃないはずで、ぼくだったら絶対ブチ切れて引っ越すとかしてる(^^)。警察呼んでるかもしれん(^^)。

 このマンガはたしか、「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」にものってたんだけど、橋本先生はどんなこと書いてたかなあ。忘れちゃった。ちなみに、この本で橋本氏に出会ったところとか、「桃尻娘」はあんまいいと思わなかったところとかは、某天才翻訳家といっしょです。他の処は足元にもおよばないけど。(なんか卑しい書き方になってますね。。。疲れてます。自虐的です。)

 当時すでに「ぱふ」とか「フュージョン・プロダクト」とかあって、マンガ評論自体はそれほど珍しいものではなくなっていたんだけど、あの本って、マンガ評論のように見えて、実際は文化批評というか文明批評になってたんですよね。そういうところがすごぐ新鮮だった。まあ、今ではよくあるパターンだけど。

 あの本は、たしか当時流行り始めたばかりの「コンビニ」で買ったんですよね。あんな本がコンビニで売ってたなんて、今考えるとすごいよね(^^)。

| | トラックバック (0)

裏技

 Wikipedia の裏技

| | トラックバック (1)

ブログ貼り付けのテスト

 PlessDisplay のブログ貼り付け機能をテストしてみました。もちろん、ココログとか MovableType とかは選択できないので、ソースを表示してクリップボード経由で貼り付けただけですが。


PG&E shares rise on Buffett rumor
By David R. Baker Chronicle Staff Writer
San Francisco Chronicle
06 May 2006

Shares of PG&E Corp., the parent of California’s largest utility, rose 3.4 percent Friday on speculation that investment guru Warren Buffett might buy the company. PG&E’s stock closed at $40.80, up $1.34, on volume of 2.6 million shares, 40 percent... read more...

PG&E と言えば、「エリン・ブロコビッチ」を思い出す。。。(^^)

しかし、バフェットが買うって言っただけでどこの株も上がっちゃうんだから、その気になればいくらでも儲けられるよね(^^)。まあ、そういうことやらないと思われてる人だからこそ、成立する話なんだろうけど。

| | トラックバック (0)

PressDisplay がメチャメチャ進化している

 PressDisplay という、世界中の新聞をインターネットで配信するサービスがあって、数年前から加入していたのですが、久しぶりに使ってみたら、専用のリーダー・ソフトウェアがめっちゃ進化していて驚きました。

  • 目次を表示して特定の記事に直接ジャンプ
  • 記事内容をテキストとして表示
  • 記事内容を音声で読み上げる
  • 記事内容を機械翻訳 (日本語を含む)
  • 記事内容をブログに貼り付ける
  • 新着記事を RSS 配信
  • 取り扱い全新聞の中から注目記事をピックアップするポータル画面
  • 検索条件がさらに細かく指定できるように
  • Acrobat 対応のブラウザなら、ブラウザ内でも記事の表示が可能
  • さらに、取り扱い新聞の数も大幅に増加

 もともと、このサービスは、複数の新聞から制限範囲内 (30 部/月 とか) で好きな部だけをつまみぐいできるという点で、ぼくのように、特定の新聞を続けて読むよりも、いろんな新聞から面白い記事だけを読みたい人間にとっては絶好サービスだったのですが、さらにソフトウェア的にも充実してきて、いろんな人にお勧めできる感じになってきましたねえ。

 このサイトが Google News とかと比べてよいのは、あまりインターネットを見ていないような、本当の一般庶民が読んでいるのとまったく同じ新聞が読めることですね。たとえば、ヨーロッパの右傾化がどの程度かとかいうことにしても、お上品なガーディアンのホームページみたいなのばっかり見てても、あんまり実感としてわからないわけですよ。その点、このサイトには、悪名高いイギリスのタブロイド紙なんかも、各種取り揃えられておりますからね。

 料金プランはこんな感じ。

 購読プラン

エコノミー 

ベーシック

 アドバンスド

 基本料金で読める部数

 31

 70

 120

 月基本料金

 US$9.95

 US$19.95

 US$29.95

 追加 1 部当たり料金

 US$0.75

 US$0.75

 US$0.75

 あと、イチローや城島に詳しいシアトルの地元紙とかもありますよ(^^)。

| | トラックバック (0)

夢分析

 電車に乗っていて検札につかまる夢を見たのですが、なぜか車掌がアンガールズの田中くんで、

「だ~~~か~~~ら~~~、このキップじゃダ~~~メ~~~な~~~の~~~!」

などと言われてしまいました。誰か、この夢が何を象徴しているのか教えてください(^^)。

| | トラックバック (0)

萌えよ!シリーズ

サッカー!警察!クルマ!戦車まで!

手当たりしだいに萌やしま~す!

だって。なんでそんなものまで萌やす必要があるのじゃ(^^)! しかもパンツ見えてる(^^)!

オレ、この会社の雑誌に取材されたことあるんだよな~(^^)。別にいいけど。

| | トラックバック (0)

批判と規制

 「サイゾー」の 5 月号を買ったら、「ニートって言うな!」のお二人と M2 の対談が載ってまして、興味深く拝見したんですけど、なんか違和感があるんですね。まあ、ぼくは「ニートって言うな!」自体読んでないし(^^)、お二人の言う最近の若者バッシングの実態とかもよく知らないんで、的外れな認識かも知れないんですが。

 その違和感と言うのは、必ずしも若者批判問題だけじゃなくて、成人マンガやゲームの問題とか、いろんな問題にも共通するんですが、要するに、「批判」と「規制」や「差別」の関係をどう考えるかということなのね。

 お二方の発言を読むと、若者批判が高まる -> 若者に対する規制や差別が生まれる -> リベラルでない社会になる、みたいな因果関係が必然的なものととらえていて、だから、若者批判はよくない、というふうに考えているようなんですが、ぼくは、こういう捉え方だと、かえってリベラリズムの可能性を狭めてしまうんじゃないかという気がしてならないんです。

 そもそも、民主主義というのは、「言論の自由」という概念が柱あることでもわかるように、言論によって互いの価値観に影響を与え合う、ということ自体は、否定するどころか、むしろ奨励していたはずでしょう。この言論による価値観・世界観の変更可能性を否定すれば、後は、既存の価値観を前提とした上で、罰やインセンティブを与えることしか、世の中を制御したり変革したりする方法はなくなってしまうじゃないですか。そうなれば、民主主義社会の可能性というのはかえってやせ細ってしまうんじゃないでしょうか。だから、ぼくが思うに、批判は遠慮なくするけど、規制や差別はできるだけしない、というのが民主主義社会の理想だと思うんですよ。

 もちろん、日本のように「和」を尊ぶとか言われる社会だと、言葉による批判だけでも深刻な対立関係を引き起こして、実質的には差別状態を生み出すようなこともあったでしょう。だから、批判自体を抑制すべきだという考えもでてきたんでしょうけど、もうそんな時代じゃないし、そんな時代をいつまでも引きずるべきではないと思います。

 むしろ、規制や差別をできるだけ少なくしようとするなら、なおのことぼくらはもっと相互批判を積極的にすべきじゃないでしょうか。「若いのにブラブラしてるヤツは好きじゃない」とか「最近の成人マンガの鬼畜さには不健全なものを感じる」とか「いくらなんでも小学生のジュニアアイドルはねえだろう」みたいな批判は、それが統計的に犯罪と相関関係があろうがなかろうが、あっていいと思うんです。 だって、本当にそれが自分の価値観なんだから。

(思いっきり屁理屈に聞こえるかも知れないけど、そういうことを言い出すと、右翼的言説の流行と防衛費には有意な相関は証明されていないから右翼的言説を批判すべきでない、みたいなことだって言えちゃうんだからね(^^))

 そういう批判をしない人は、若いのに親の金でブラブラしてるヤツとか、鬼畜なマンガばっかり読んでいるヤツとか、小学生の水着写真集とか平気で出しちゃうヤツとか、本当に心の底から好きになれますか? 積極的にお友だちになりたいと思いますか?(もちろん、そういう人もいるかもしれないけど)違うんでしょう? だったら、なぜ他人の価値観にばかり気を使って、自分のそういう価値観をもっと素直に主張しないのでしょう。

 もちろん、そうやって相手の価値観を聞いているうちに、自分の価値観の方が変化して、「ソレもありだな」と思うかもしれません。ぼくは、それこそが本当な「多様な価値観に対する寛容」だと思うんですよ。でも、実際には、「多様性にたいする寛容」という一見耳障りのよいフレーズは、そういう言論による価値観のぶつけ合いによる相互理解からの逃げにしかなっていないことが多いんじゃないでしょうか。また、そういうフレーズで批判を封じ込めれば、不満を持つ人はますます罰やインセンティブを支持するしかなくなるんだから、なおさら世の中を保守化させる危険だってあるだろうし。

 ぼくはよく思うんですけど、民主主義社会においては、制度として正しいことと、個人として正しいことは、多くの場合逆なんです。国家は個人の内面に干渉すべきではない。しかし、個人同士が相手の人権を侵害しない範囲で内面に干渉し合うのは別に勝手 (むしろ、そういう個人同士の干渉が権力関係になるのを防ぐために国家がある)。制度設計は個人の倫理観に依存しないほどよいが、個人の倫理観は制度に左右されないほどよい、とかね。 だから、国家としてどうすべきか、ということと、個人としてどうすべきか、ということを区別して論じないと、必ずいろんな矛盾が生じるんですよ。

 だから、ぼくは「ニートって言うな!」って聞くと、「別に言うのは勝手だろ」とか思っちゃうんですよね(^^)。もちろん、そういう批判の中には、的外れなものあるでしょうから、そういうものに対してはどんどん逆批判していけばいいし、安易な規制や差別には断固反対ですけど。たかが言葉の批判に対して、ちょっと過敏に反応しすぎじゃないか、という気がするんですよね(^^)。はずしてたらゴメンなさい(^^)。

(関係ないけど、「女子アナマトリックス」とかいうのが出ててさあ、「アイドル性」と「知性」が同じ座標軸のプラマイ逆方向になってるんだけど、これだと、「アイドル性」があってなおかつ「知性」がある女子アナはいないことになっちゃうよねえ。いいのかなあ(^^)。) 

| | トラックバック (0)

CSS で Adsence を表示できないものか

 ちょこっと CSS をいじってみました。after 擬似要素とか使って、各記事に自動的に Adsence を挿入できないかと思ったんですけど、スクリプトを評価してくれないからダメみたいですね(^^)。なんかいい方法ないかなあ。。。

| | トラックバック (0)

体罰は違法でいい

 戸塚宏氏の出所で、体罰論議が再燃しているようですね。確か、島田紳助氏の事件のときも、同じようなことを書いたのだけれども、体罰は法的にはすべて違法でいい、というのがぼくの基本的な考え方です。

(ぼくは子供の頃剣道の道場に通っていたので、稽古のときには、それこそコテンパンに叩かれることが日常茶飯事でしたし、それ以外にも結構痛い目にあったことありますね。なんか合宿に行く途中の列車で気分が悪くなって嘔吐してしまい、袴を汚してしまって、下半身裸のままで稽古させられかこともあったな。それで、竹刀でキ○○マぐりぐりやられたりしたんだけど、今思うと、あれってただ面白がってやってただけじゃないの(^^)。もちろん、その恨みでこういうことを書いているわけではありません。為念。)

 もちろん、体罰が実際にはすばらしい教育的効果を挙げることがある、ということはぼくも承知しています。ただ、最大の問題は、「よい体罰」と「わるい体罰」を客観的に区別するのが難しいということでしょう。したがって、体罰を法的に容認してしまうと、必然的にモラルハザードが起こって、悪い体罰ばかりがはびこることになる。

(だから、大人同士の暗黙の相互監視や牽制がうまく機能していた時代には、体罰の弊害というのもそれほど大きくなかったのかもしれないし、逆に、ファシズム社会とかになると、そういう弊害が強烈に現れるようになるのかもしれない。そういう意味でも、やっぱり法的には違法でいいのだと思います(^^))

 ですから、体罰を行使したい人は、訴えられるのを覚悟でやるくらいで丁度よいのだと思います。もしそれが本当に「よい体罰」だったなら、体罰が行使されたにもかかわらず、当事者全員が納得するということもあるでしょう。そのような場合に、第三者がわざわざことを荒立てて法律問題にする必要はないとは思います。ただ、当事者の中に一人でも納得していない人がいるのに、他の人が圧力をかけたりするのはダメです。

 もし体罰を偶発的にではなく、教育方法論としてシステマティックに行いたい場合には、少なくとも、事前に(親のではなく)本人の同意書ぐらいはとるべきでしょうね。それも、小学生とかだと、本人の同意書にもどれほどの有効性があるのか疑問なので、一定の年齢に達してないとダメでしょうね。

 もし本当に体罰を使った教育法の有効性が、欠点を補って余りあるほど高いというのであれば、医者などと同じように免許制にして、「体罰教育士」みたいな資格をつくった方がよいのではないかと思います。もちろん、そのためには、そういう教育法の有効性や、適切な方法論をとれば、有効性に比べてリスクを低く抑えられること、などを社会に対して証明し、社会的な合意を得る必要がありますが。

| | トラックバック (0)

文脈無視

 Wikipedia の「坂本龍一」の項目に、いつのまにか「音楽観」とかいう項目が追加されていたので読んでみたけど、なんか視点が片寄ってませんか。

 教授は確かに現代音楽的な資質や教養を持っていたかも知れないけれども、実際に仕事の場として選択したのは、教授から見れば「保守的な」ポピュラー音楽界だったんです。同時代の空気を知らない人にはわからないかも知れないけど、当時のポピュラー音楽界では、少しでも前衛的な要素を盛り込もうとすれば、やれ教授は理屈っぽいとか頭でっかちだとか言われて拒否反応を示され、実際にセールスにも影響したりする。そういう中で教授は、少しずつ少しずつ前衛的な要素をオブラートにくるんで忍び込ませ、リスナーの耳を慣らしてきたんです。

 今でこそ、半野喜弘氏のように印象派以降の和声を使いこなす人がヒップホップの世界にまで現れ、それをポップスとして聴くリスナーも増えてきたし、逆に現代音楽をポップスとして聴くリスナーまで出てきたわけですけど、それだって、教授(だけじゃないけど)たちの長年の努力の賜物であって、そうなるまでにも 20 年以上もかかっているわけです。

 そういうポピュラー音楽側の努力がなければ、現在のように現代音楽や民族音楽が多くの人に親しまれることもなかったでしょう。それをまるで当たり前のように見なして、やってることが古臭いみたいなことを言ったって、そんなものは歴史的な文脈を無視した机上の空論だと思うんですけどね。

(ぼくなんかも、ヒッチコックを観ると「なんとかサスペンス劇場みたいだよな」とか思うんだけど、もちろん、これも歴史的文脈というものをまったく無視した評価であって、それと似たようなもんだと思う(^^))

 教授は現代音楽を否定したわけでも、ポピュラー音楽を否定したわけでもありません。むしろ、手法的には新しくても、一般のリスナーを無視した現代音楽界と、一般リスナーを重視するけれども、そのかわり「保守的」なポピュラー音楽界の間に立って悩み続けてきた人だと思います。それを勝手に現代音楽家とかポピュラー音楽家とかいう枠にはめて、規範的に評価したって、彼を歴史的に正当に位置付けたことにならなないと思うんですよね。もちろん、彼の音楽には常に、そういう様式云々を超えた美しさがあった (ヒッチコックの映像が今見ても美しいのと同じように)、ということも忘れてはならないですしね。

(ついでに言えば、ピアノがあんまうまくない、というのも昔から言われていたことですよね(^^)。もっとも、Casa のころになると、以前よりだいぶうまくなっているような気がするけど。)

| | トラックバック (0)

Real Superpass Europe

 Real Spuerpass のアメリカ版に加入していたのですが、いつの間にか ABC News NowBBC World もなくなって、すっかりつまらなくなってしまいましたね。まあ、手術の模様をリアルタイムで中継する「OR-Live: Watch Surgery 24/7」とかは、マニアックでちょっと面白いけど(^^)。

 一方、ヨーロッパ版の方を見ると、BBC World も CNN International も EuroNews もあって、こっちの方がよっぽど充実しているじゃあないですか。ということで、ヨーロッパ版に乗換えを画策中。

 だいたい、アメリカのメディアというのは、CNN を除くとわりとドメスチックですよね。ダルフールの話なんかにしても、BBC ではかなり一生懸命やってるけど、ABC とかじゃめったにやんないもんね。あ、これは日本のメディアもいっしょか(^^)。

 なんか、これからはアメリカじゃなくヨーロッパだ! というような声もあるようなので(^^)、ヨーロッパがどれほどのものか、この機会に勉強してみるのもよいかも、なんつったりして(^^)。

| | トラックバック (0)

フレーズ検索がおかしい?

 なんか Google のフレーズ検索がただの AND 検索になってるような気がするんだけど、気のせいかなあ。この機能が使えないと、たいへん仕事に支障をきたすんだけどなあ。。。(^^)

| | トラックバック (0)

暑っ!

 なんでこんな暑いんだ。「夏向きの曲」というプレイリストはいかが。


Bird Watching At Inner Forest Cornelius
夜間飛行 Tingara
夏なんです はっぴいえんど
風をあつめて はっぴいえんど
いつか風になる日 元ちとせ
Bijin-Kyoshi At The Swimming School 高橋幸宏
熱帯夜 細野晴臣
Mercuric Dance 細野晴臣
The Image Of A Paradise 細野晴臣
キラ 細野晴臣
The Paradise View 細野晴臣
Kila 氷の中のキラ 細野晴臣
RENDEZ-VOUS 大貫妙子
ベジタブル 大貫妙子
ロカ 遊佐未森
森とさかな 遊佐未森
夏草の線路 遊佐未森
夏休みが待ち遠しい -mon biclo 鈴木さえ子
Adventure In South Pacific 鈴木さえ子
Indian Summer 鈴木さえ子
The Theme From " A Summer Place 鈴木さえ子

なぜか、細野さんばっかりである(^^)。細野さんの音って、なんか暑苦しくなくって風通しがいい感じがするんですよね。サザンとかも入れたかったけど、iTunes 登場以前に音源を全部処分してしまったので。。。小林武史さんと組んでた頃の「真夏の果実」とか「さよならベイビー」とかはかなり好きなんですけど。

余談ですが、「美人教師」ってあややの「桃色片思い」に似てると思うんだけど、気のせい? 

| | トラックバック (0)

カレー粉は味の調節ができない

 調味料っていうのは、そのまま単独で食することはまずなくて、だいたい他のものと混ぜて食べますよね。なのになんでわざわざ分けるのかといえば、最初から混ぜてあると、それ以上味を調節することが難しいからですよね。カレー粉みたいに最初から混ぜてあるものは、ひじょーに用途が限定されてしまうけれど、スパイスごとに分けてあれば、個々のスパイスとしても使えるし、カレー粉としても使える。だから、最終的には混ぜて使うにもかかわらず、分けておくことには意味があるのである。あれ、これ前にも書いたような気がするなあ(^^)。

しかし一方、近代合理主義の最大の弱点は、粉々にしてつかんだ対象の姿が、対象の全体像をも明らかにするという要素還元論に安易に移行する点にある。部分を明らかにすることによってのみ全体が明らかになるよという信念体系を、真理への道程として唯一絶対であるとした点にあるのである。対象が、弱連結姓を持つときは、この信念体系は真理ともなりうるが、対象の部分同士が強く関係をもっているときには、誤謬に導く。機会はそれぞれ機能的な各モジュールからなる。それらのモジュールをうまく組み合わせることにより機械全体としての機能を発揮する。それに対して、システムの全体的な目的や機能が決まると、どこがモジュールかが決まり、各モジュールが機能的になる、というシステムを想定することができる。モジュール間の境界はシステムの機能に依存して変化する。このようなシステムでは、粉々にしたらおしまいという性質が本質的になる。特に生命にかかわる科学の問題や社会科学の問題では、そのようなことがしばしば見られることは、多くの人々により指摘されてきた。

(「カオス的脳観」津田一郎)

 ポモブームのころの本だけど、単にモダンがダメダメだとか言うだけじゃなくて、モダンがなぜダメかをちゃんとつきつめて考えているから、今読んでもあんま古びてないよね(^^)。

| | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »