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伝統の在り処

 昨夜の朝生は「激論!天皇」で、要するに、先月ライブドア事件でふっとんでしまった女帝・女系天皇論をやったわけですが、あんまり面白くなかったですね。まあ、(何度か書いたように)ぼく自身が天皇制に別に執着がないという理由もあると思いますけど、保守派の方々の伝統というものの捉え方にも問題があるような気がします。つまり、彼らが天皇制の存在理由を示すのに、とにかく伝統だから、という以上の理由をほとんど示せていないのね。だから、結局思考停止状態になってしまって、それ以上議論が深まりようがない。

 宮崎哲弥さんは、「理由を問えないから正統性 (legitimacy) なんだ」、とおっしゃっていましたけど、それは、政治権力の話でしょう? 政治権力の場合には、正統性に疑いが生じると権力闘争の原因になるから、権力闘争を防ぐためには、正統性に疑義が生じない決定方法がよいのだ、というのはよく言われることですよね。でも、現代の日本の象徴天皇制には、(少なくともタテマエ上は(^^))政治権力はないことになっているはず。

 たとえば、スポーツのルールなんかでも、なんでそういうルールなのかと言われても、そう決まっているからだ、としか答えようがない、というのも一面の真実です。でも、もう少し深く考えると、そういうルールにした方が、選手や観客がよりゲームを楽しめるから、という隠れた理由があるはずなんですよね。それは、身体化された暗黙知のようなもので、必ずしも論理的には語れないのだけれども、理由がないわけじゃない。むしろ、その理由は、選手や観客の心の中に隠れている、と言うべきでしょう。

 同じように、なぜ天皇制が必要か、それがどういう形でなければならないか、という理由は、天皇制を支持する保守派の心の中にこそ隠れているはずだと思うんですよ。彼らには、それこそを語ってほしかった。

 いや、天皇制に限らず、伝統の存在価値というのは、みなそういうものだと思うんですよね。単に、知識としてそれが伝統だから、というだけではなくて、それが自分の内部にある身体性や暗黙知と結びついたときに、初めて意味のあるものとなる。

 たとえば、子供の頃に海外で親と生き別れになって、外国人に育てられた日本人の子がいたとしましょう。その子が大人になって、自分が日本人だと教えられても、そのままでは単なる知識でしかないでしょう。でも、その子が生まれて初めて味噌汁を飲んで、それが自分にぴったりの味だと感じたとすれば、その味噌汁はその子のアイデンティティの基盤を構成する伝統としての意味を持ってくるかもしれない。

 逆に、いくら和食が日本の伝統だからと言っても、自分は日本人だから味噌汁を飲むべきだ、みたいに観念的に思い込んで、嫌いな味噌汁を無理して飲んだってしょうがないでしょう。だったら、もし学説が変わって、日本人は昔はパンを食べていたということになったら、お前はその日からパンを食い出すのか? それだったら、西洋かぶれでパンを食ってる奴の行動パターンとなんら変わらないじゃないか、ということになっちゃうわけ。

(もっとも、「伝統=物語」派にとっては、みんなが信じられる物語があればよいので、その物語の内容などなんでもよい、ということなのかも知れない。でもそれだと、歴史教育を操作して、日本人はアングロサクソンの子孫だった、ということに無理矢理してしまって、アングロサクソン文化万歳みたいな主張をしてもいいということになりますよね。「伝統=物語」派の方は、教育のためなら歴史を捻じ曲げても良いと思っていらっしゃるようだから。(^^))

 だから、天皇制についても、保守派の方々が揃いも揃って頭でっかちの変な理屈ばかりこねてるのは、失礼ながら、保守派の方々の精神の衰弱を示しているようにしか思えないのね。たとえば、Y 染色体が重要だとおっしゃる方は、知識ではなく、自分の実感として、天皇家の Y 染色体を持っている人と持っていない人の区別がつくのか。そういう人の前に立つと、自然と尊敬の念が沸き起こってくるが、そうでない人の前にたっても何も感じない、みたいなことがあるのか。それこそを語るべきでしょう。

 そういう内発的な理由が語られないから、とにかく天皇家を存続させること自体が自己目的化したような議論になってしまう。でも、それは、博物館のガラスケースの中の保存された遺跡のようなもので、もはや、同時代の生きた文化としては死んだも同然かも知れないでしょう。そこまでしなければ保存できないような文化を無理に生きながらえさせるために、多くの人の人権を踏みにじったりする必然性があるのでしょうか。

 結局、多くの日本人の間に、天皇の存在理由についての合意が自然と生まれるような状況でなければ、天皇制を存続させる意味などないのです。だから、保守派の方々は、くだらない技術論などやめて、あなた自身の内側に身体化された天皇の存在理由をこそ語るべきだと思います。そうすれば、天皇制の進むべき道も、おのずから見えてくるのではないでしょうか。

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コメント

伝統の維持という観点では、天皇制はない方が良いんでしょうね。そもそも現在の天皇制は、天皇を日本という国の形式的主権者、正統性の根源としてきた伝統的天皇とはまったく異質のものですから、現在の天皇制を維持することと(「かつて」存在した政治的天皇の)伝統を維持することは実はあまり関係がない。さらには、現在の天皇制は天皇本来の宗教的・文化的伝統を破壊している面もある(国の象徴とされることで天皇の(宗教的)特性が隠さざるを得ないものになり、天皇は萎縮してその伝統的な特性も希薄化されてしまっている)わけで。
そろそろ天皇制を廃止して、天皇も宗教的象徴として自由に活動できるようにした方が良いだろうな、とは思います。

投稿: カミの子 | 2006.02.25 14:07

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