期待は高く、でも距離感をわきまえて
そろそろだと思っていましたが、オリンピックの日本選手に「期待しすぎ」という論調が出てきましたね(^^)。でも、ぼくは、期待すること自体が悪いんじゃないと思うんです。
関係者はともかく、一般の人たちが期待するのは、お笑い用語で言えば「前フリ」みたいなもので、応援という行為を楽しむための準備なんです。この準備があるからこそ、期待通りになれば喜び、期待を超えればさらに驚き、期待を裏切られればがっかりする、というような落差を楽しめる。だから、応援する方から見れば、期待してナンボ、というところがあるんですね。
どーせダメでしょ、とかクールに思いながら応援してても、盛り上がらないじゃないですか。だいたい、株やギャンブルや天気予報じゃないんだから、オリンピックのメダルの数なんて、「正確」に予想したってたいした意味ないでしょ? (^^)
ぼくがむしろ問題だと思っているのは、ただ応援してるだけの野次馬で、なんら利害関係などなく、個人的に選手に協力したりしているわけでもないのに、「期待」通りの演技を見せられなかった選手を過度にバッシングするというような風潮です。「応援してやったのに」とかさ (^^)。ぼくに言わせれば、それは単なる勘違い。ぼくら野次馬は、勝手に期待して勝手にがっかりしていればよいのです。それが野次馬なりの美学というものだと思う。
かつては、そういう何か勘違いしたような報道も多かったので、それが嫌いでしょうがなかったけれど、最近はむしろそういう傾向は減ってきたように感じます。(松岡さんなんかも、応援はすごいけど、ダメだった選手をムチ打つようなことは絶対にしないでしょ?)その距離感がわきまえられるのだったら、期待や応援はどんどんしたらいいと思うのだ。
(カーリングって、ルールがわかってくると、結構面白いですね。よく「あれがスポーツか?」とか言ってネタにされるけど、あのスイーピングがかなりの重労働で、腰を痛める人もいるんだって。)
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