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エリートの壁

 人間が本当に他人の立場を理解するということが、口で言うほど簡単ではないのはわかっているが、日本のエリート階層やエスタブリッシュメント階層の人々の、庶民の気持ちに対する鈍感さには、ときどき殺意に近いものを感じるときがある。まあ、ぼくは夜間大学を 7 年もかかって通いながら、中小企業ばかりを渡り歩いてきた人間だから、ヒガミも混じっているとは思うが、少しはこういうことを言う資格があると思う。

 彼らが「友情というのは、お互いが切磋琢磨し尊敬しあえるような関係だと思う」みたいなことを言ってるのを聞いても、機嫌のいいときには聞き流せるが、機嫌の悪いときにはほとんど殴りたくなることがある。あのさあ、あんたらは、周囲にいる人だってみんな優秀な人間だから、そんな暢気なことを言ってられるんですよ。あなた、新入社員のほとんどが高卒かせいぜい専門学校卒みたいな会社に勤めている人の世界がどんな世界かわかりますか。そこで働いている人のほとんどは、著しく能力に欠けるか、能力はあっても性格が著しくゆがんでいるかのどちらかで、この両方を兼ね備えた人だって決して珍しくない。

 そういう世界では、自分の尊敬できる人だけと付き合いたいと思っても、そういう人が(哀れんでくれることはあっても)本気で自分の方を振り向いてくれることは決してない。振り向いてくれるのは、能力がないか、性格が歪んでいるか、なんかしら著しい欠点のある人ばかりだ。それでも辛抱強く関係をきらずに付き合っていくというのが、庶民の友情というものなのだ。

 彼らが「自分は決してずるいことはしない。他の人もそうすればいいのに」みたいなことを言うのを聞くと、「パンがないならクロワッサンを食べればいいのに」と言ったマリー・アントワネットかと思うことがある。だいたい、金も能力も社会的ステータスもある奴がずるいことをしないなんてのは当たり前なのだ。悪意のある奴に騙されたり、悪意はなくても無能な奴に足を引っ張られたり、みたいなことが日常茶飯事の世界で、エリートたちと正面から正々堂々と競争して勝てるはずなどない。しかたなく、エリートの目の届かないところでやっと切り開いたささやかなマーケットすら、後からやってきたエリートに「正々堂々と」奪われたりする。

 高度成長期の日本が一億層中流社会だったなんてのも、半分はウソだ。確かに、収入には大きな差はなかったかも知れないが、大卒と高卒以下、一流大卒と二流三流大卒では、社会的ステータスなどにことごとく差があったことは、山田太一氏の「不揃いのリンゴたち」などを見ればわかる。いくら収入に差がなくったって、平準化された価値観の中では、他人や異性の尊敬を得る立場の者は常に決まっており、かと言って、金以外の自分だけの価値観の世界に逃げ込むこともできず、誰もがラットレースを強制される。そんな世界がそんなによかったか?

 なぜ一番わりを食ってるはずの低所得層の若者が、市場原理主義・新自由主義の小泉政権を支持するのか、不思議でしょうがないとか言っている方々に教えてあげよう。彼らは、あなた方の考えるうす甘い妄想の世界が、決して自分達のためのユートピアではなく、やっぱりエリートのための世界でしかないということに、本能的に勘付いているのだ。

 …すんません。今日はかなり虫の居所が悪いようです(^^)。でも、まったくデタラメを書いてるわけでもないんですよ。エリート街道まっしぐらで、なおかつ、自分は弱者にやさしいいい人だと思い込んでる人、あなたは本当にその「弱者」が何を望み何を悩んで生きているか、わかっていますか?

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