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愛情格差社会の予感

 年末のテレビで「模倣犯」をチラ見しました (実は二回目)。大島ミチルのサントラはかっこいいなあとか、中居君はよくこんな役引き受けたよなあ、それがまたみょーに似合ってるとこがいいよなあとか、いろんな感想があるんですが、一番印象に残ったのは、山崎努が中居君に「お前は愛を知らない哀れな人間だ」とか言って説教するシーンでした。と言っても、「その通り。いくら頭がよくて金があっても、愛を知らなければダメだ」とかって素直に納得したからじゃなくて、逆に、なんかこの台詞に違和感を感じたからなんです。

 もちろん、こういう台詞はこの映画の独創でもなんでもなくて、むしろ陳腐化した台詞と言えます。ただ、これまでこういう台詞は、「金や身分は誰にでも手に入るわけじゃないが、愛はまっとうな人間なら誰にでも手に入る」という前提のもとで、金持ちが偉いという価値観を相対化する台詞として語られていたはずです。でも、この映画でこの台詞を聴いたときには、あまりそういう風に聴こえなかったんですよね。

 ひょっとして、現代では、誰でも平等に手に入ると思われていた「愛」が、一部の幸運な人にしか手に入らない貴重品になりつつあるのではないでしょうか。仮に、それが本人の性格のせいだとしても、その性格自体が遺伝や幼児期の環境で大方決まってしまうものだとすれば、やはり、本人の意思によって選択可能な対象ではないということになります。現に、この映画の中でも、「子供の時に愛を与えられないとダメなんだ」みたい台詞が言われていますよね。

 もし、この想像が正しいとすれば、「お前は愛を知らない哀れな人間だ」という台詞は、先に書いたような価値相対化の台詞ではなく、むしろ、金持ちが貧乏人を蔑んだり、貴族が一般庶民を蔑んだりするのと同じような、単に、持てるものが持たざるものを蔑む極めて残酷な台詞にすぎない、ということになります。ぼくがこの台詞を聴いたときに感じたのも、そういうある種の寒々しさだったのかもしれません。

(だからと言って、誰ぞやのように、「犯罪は本人じゃなくて社会の責任だ」とか言いたいわけじゃありません。それはまた別の問題です。為念。)

 現代では、「銭金」のような番組があることからもわかるように、金がないということをカミングアウトすることに対する抵抗は薄れつつあるように思いますが、愛に飢えているということをカミングアウトすることに対するハードルは、むしろ上がっていて、迂闊にそのような告白をすれば、小谷野さんみたいに「それはお前の性格が悪いせいだ」と叩かれるのがオチなので、「愛情格差」の実態はわかりにくくなっている。それが、私たちの従来の感覚では理解しがたい犯罪の増加などに表れているのかもしれない、なんてことを思ったりします。

 なぜそういうことになったのかとか、じゃあどうすればよいのかとかについても、いろいろと考えてはいるのですが、まだあまり考えがまとまっていないので、もう少しまとまってからとうことで。

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