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プログラマ的文化・制度論

 ぼくは出身がプログラマなので、なんでもコンピュータのことに置き換えて考える癖があるんですが、文化と制度の関係についても、こういうふうに考えればよいのではないかと思いました。

 コンピュータの歴史を振り返ってみると、史上初のコンピュータ (ここで言うコンピュータというのは、バベッジの階差機関とかインカ人がロープでつくった「キープ」とかじゃなくて、いわゆるノイマン型のコンピュータのこと (^^)) ができたときには、もちろん、先にプログラムがあって、それに合わせて計算機が作られたわけではなくて、まずハードウェアとしての計算機があって、それに合わせてプログラムを書いていたのです。

 その頃はまだ、オペレーティング・システム (OS) というものがなかったので、プログラマは計算させたい問題ごとに毎回ゼロから違うプログラムを書いていました。しかし、やがてそれではあまりにも非効率だということになって、プログラムのロード・実行など、ほとんどのプログラムに必要な処理をアプリケーションから切り離して共有しようという発想が生まれました。それが OS の始まりだったわけです。

 そのころの OS はまだ、特定の機種のコンピュータ上でしか動きませんでした。ところが、ハードウェアの種類が少なく、進化もゆるやかな時代はそれでもよかったのですが、ハードウェアの進化が速くなって、どんどん新しいハードウェアが登場する時代になると、今度は、そのたびに OS 自体を開発し直すという非効率が問題になってきます。そして、ハードウェアに依存しない (専門用語ではポータブルという) 現在のような OS が生まれたわけです。

 その結果、ハードウェアと OS の間にある種の関係の逆転が起こります。それまで、ハードウェアというのは、その名の通り、あまり変化しないもので、ソフトウェアの方はすぐ変化するものとして捉えられていました。ところが、どのハードウェアでも同じ OS を利用できるようになると、むしろ、OS の方があまり変化しないもので、ハードウェアは相対的にすぐ進化するものとして捉えられるようになります。そうすると、最初期のコンピュータでは、完全にハードウェアに合わせてソフトウェアを作っていたものが、むしろ、ソフトウェア (OS) に合わせてハードウェア (厳密には、その間にデバイス・ドライバというソフトウェアが介在するが) が作られるようになってくるわけです。

 もちろん、OS の方はまったく変化しなくなったかと言えば、そんなことはなくて、今まで想定していなかったまったく新しいハードウェアが登場すれば、それに合わせて OS の方も進化します。つまり、ハードウェアと OS は、それぞれ独自に進化する柔軟性を手に入れると同時に、互いに相手の進化に合わせて共進化できるようになり、システムとしての安定性と環境への適応性を両立できるようになったのです。

 なぜそんな都合のいいことが可能になったのかと言えば、その秘密は、「ブラックボックス化」という原理にあります。現代のコンピュータ・システムでは、ハードウェアから見た OS も、OS から見たハードウェアもブラックボックスで、互いの内容を規定していません。ただ、相互にやりとりする時のインターフェイスだけが定められているだけです。そのことが、これだけの柔軟性を生み出しているわけです。

 さて、長々と OS の歴史をおさらいしましたが、本題は文化と制度の関係の話でした。国家というのも、元々は文化的な共通性をベースにして成立したもので、制度というのはその上に構築されたというのは確かでしょう。それは、最初期のコンピュータ・システムでは、ハードウェアに合わせて OS を開発していたのと同じようなものだと言えます。

 私が言いたいのは、制度が文化を基盤としているという説は、起源論としては正しいとしても、だからと言って、国家を安定させるには文化の内容を固定する必要がある、という保守派的な発想が正しいとは限らない、ということです。

 もちろん、国家というシステムがすべてであって外部がないとか、国家というシステムが所属するスーパー・システムが完全に静的なシステムであって、まったく変化がないというのであれば、それもまた国家を安定させるための一つの解である、とは言えます。

 しかし、現実には、国際社会は安定には程遠いし、仮に、安定した世界システムができたとしても、その外には、人類が決して完全には制御できない、宇宙とか環境とか呼ばれるスーパー・システムが残っているわけです。このような、外乱のあるダイナミックなシステムの中において、文化と制度がともにガチガチに固まっているような国家システムを作っても、持続可能なシステムになるとは思えません。

 元々、文化というものは、完全に静的なものではなく、不安定な環境に合わせて進化する動的な安定性が生命線です。それを、制度によって文化の内容まで規定すれば、文化を守るどころか、 (保守派の思惑とは反対に) 文化の生命力を破壊し、ひいては国家の生命力まで失わせることになるでしょう。

 確かに、文化と制度は相互に依存していますが、だからと言って、相互の内容を規定してしまえば安定したシステムができるというのは錯覚であって、むしろ、それぞれ独立して進化する余地を残すことによって、スパイラル的な共進化が可能になると同時に、動的な世界の中で安定して持続することが可能になるのだと思います。

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