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喫煙者少数派時代

 愛煙 vs 嫌煙みたいな論争をインターネット上で目にする機会があったので、自分なりにいろいろ考えてみました。昨今の喫煙者に厳しい風潮をファシズム的だと捉える喫煙者側の気持ちもわからないではないのですが、ぼくはむしろ、このような現象は、愛煙家が多数派から少数派に転落したことによる社会構造の変化が必然的に生み出した軋轢ではないか、という気がしました。

 もちろん、女性や未成年まで計算に入れれば、昔から喫煙者は少数派であったとも言えるのですが、少なくとも、職場で多数派を占める成人男性の間では、長いこと喫煙者は多数派だったわけです。ところが、最近になって (厚生労働省国民栄養調査によれば平成 11 年、JT全国喫煙者率調査によれば、平成 14 年以降)、成人男性に限っても喫煙率が 50% を切ったわけで、名実ともに喫煙者は少数派になったわけです。

 ぼくは基本的に、他人に迷惑をかけなければ、喫煙も個人の自由であるという立場ですが、この「他人に迷惑」というのがクセモノです。何を迷惑と考えるかは、その人の価値観によって違うので、自分の土地にビルを建てて何が悪いと思う人もいれば、景観や陽当りの悪くなることを迷惑だと思う人もいる。極端になると、ぼくみたいに、女子高生のスカートの短さですら一種の景観の破壊であると思っている奴すらいる(^^)。

 喫煙の迷惑も、愛煙家同士の間ではあまり迷惑に感じないものが多いので、喫煙者が多数派である場合にはあまり問題にならずに見過ごされることが多かったと思うんですね。もちろん、当時の少数派であった非喫煙者の中には、そういう迷惑に内心腹をたてていたにもかかわらず、口に出してもあまり相手にされないので憤慨していた人もたくさんいたことは想像に難くなく、当時はむしろ彼らの方が迫害されていたに違いないんです。

 もちろん、だからと言って、喫煙者が健康を害することにより、社会全体の生産力に悪影響を与え、GDP が低下するとか、そんなことまで「喫煙の迷惑」に勘定しようとはぼくも思いません。それはそれこそ、愛煙家側の言うとおり、民主主義の理念に反するファシズム的な主張でしょう。

 ただ、公共施設に設置された喫煙所や分煙装置のコストとか、喫茶店や食堂に用意された灰皿や空気清浄機のコストとか、喫煙者が病気になりやすいことによる健康保険料のコストとか、もちろん受動喫煙の害によるコストとかは、これまで社会全体で負担することが当然にように思われてきたわけですが、それは「多数派≒社会の総意」という近似計算によって許されてきたにすぎないと思うんですね。だから、喫煙者が少数派に転落した以上、こういうことが通用しにくくなるのはある意味当然だと思うのです。

 もうちょっと経済学風に言うと、喫煙には確かにコストとベネフィットがあると思いますが、そのベネフィットはほとんど喫煙者だけのもので、コストの方は社会全体が (それも市場を経由せずに) 負担しているという構図があるわけです。こういう状態だと、コストとベネフィットをバランスしようとするインセンティブが働きにくいという問題があるのですが、喫煙者が多数派だと、そういう問題もあまり顕在化しないわけです。

 もちろん、世の中もっと迷惑な習慣や文化がいくらでもあるじゃないか、という反論もわからないではないですが、それは、闘い方としては場外乱闘みたいなもので、ストロングスタイルではないのではないでしょうか。つまり、喫煙に限らず、そのような社会的コストは、なるべく個人の責任で負担する方が本筋であって、他がそうしているから自分もそうしていいんだ、みたいな主張の仕方では、泥仕合になるだけではないでしょうか。

 だから、愛煙家はむしろ、喫煙による社会的な負担をなるべく喫煙者だけで負担するような運動を、自ら推進すべきだと思います。たとえば、煙草税は目的税にして、公共空間の完全分煙の実現などに使うとか、JT なんかも率先して喫煙者向けの食堂や喫茶店を経営するとか、会社に喫煙所や分煙設備を設置するときには、そのコストは喫煙者の給料からさっぴくとか、空港や駅の喫煙所は有料制にするとか、喫茶店の灰皿はレンタル制にするとか、喫煙席は灰皿や空気清浄機のコスト分割高にするとかしたらいかがでしょう。健康保険料にしても、喫煙は、他の病気と違って自分で選択できる習慣ですから、喫煙者の保険料は健康リスクの分高くしてもよいと思うのですが。

 そのように、喫煙者少数派時代に合わせた社会構造の変革を経て、はじめて、愛煙家はマイノリティとしての正当な地位を得るのではないかと思うのですが、どうでしょう。

 ちなみに、ぼく自身は、30 歳ぐらいから煙草を吸い始めて、35 歳ぐらいでやめたという、ちょっと変わった喫煙歴をたどっているので、煙草を吸う人の気持ちも吸わない人の気持ちもある程度わかるつもりです。

 ぼくが煙草を吸う前は、今ほど喫煙者に対する風当たりが強くなかったので、当時はむしろ、煙草を吸う人ってなんか得だなあ、みたいな気持ちがありましたね。昔いたある会社では、開発室の横が全面ガラス張りで、その外がちょっとした広さのテラスになっていて、喫煙者はそこで煙草を吸うわけです。そうすると、コードを書くのに疲れたときにちらっと窓の外を見ると、同僚が煙草をぷかーっとふかしながら雑談してたりして、なんか楽しそうだなあと思うわけです(^^)。ぼくら非喫煙者が息抜きにできるのは、自動販売機にジュースを買いに行くことぐらいで、ジュースではそんなにダベれないし、ちょっと帰りが遅いと上司に文句言われるし、なんか不公平だなあと(^^)。そういう非喫煙者の感情とかも、あんまりわかってない喫煙者の人も多いんじゃないかな(^^)。

 ぼくが煙草をやめたのは、いろんな理由があるけど、なんか煙草を吸いだしてから自分の性格が変化して、短気になったり被害妄想的になったりしたんじゃないか、と自覚したのが一番の理由ですね。まあこれは自分の主観にすぎなくて、科学的に検証したわけでもなんでもないから、それをもって他人に煙草をやめろと主張する気はまったくないですが。(でも、ウルトラセブンの「狙われた街」っていうのは、案外当っているかも、なんて思ったりもしました(^^))

 逆に、これが煙草を吸う最大のメリットだと思ったのは、飲み会とかでたまたま隣に座った人と話が盛り上がらなくても、煙草をぷかーっとふかしてると、なんか格好がつくこと(^^)。だから、煙草をやめた今でも、飲み会に行くときだけ煙草持参で行ったりします。と言っても、ぼくが飲み会に行く回数なんて年に数回というレベルだし、その後からまた吸い出しちゃうなんてこともまったくないですけどね(^^)。

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» 禁煙ファシズム?上等だね [世の中/観る・聴く・考える]
喫煙者に対する世間の風当たりはますます強くなっている。当然であろう。自分の健康を損ねるのは彼らの勝手だが、様々な点で喫煙者は社会の鼻つまみ者だからだ。 [続きを読む]

受信: 2005.12.09 22:10

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