« プログラマ的文化・制度論 | トップページ | JDT と EBStudio »

文化は制度化では守れない

 前にも書いたような気がするのですが、制度と文化というのは存続の仕組みが違っていて、制度というのは、基本的にお約束だから存続しているわけですが、文化というのは、もともと多くの人がそれ自体の価値を認めるからこそ存続してきた習慣なんですね。だから、文化が存続できるかどうかは、その文化に価値を感じる人の自発的な努力にかかっているわけです。

 ある種の保守派の人たちは、西洋近代の理性主義に対抗して、日本文化や東洋文化の暗黙知的な部分を主張するわけだけど、その考え方自体は別に間違ってないと思うんですね。ただ、彼らがおかしいと思うのは、その暗黙知的な部分を守るために、文化を制度化しようとすることで、制度化された文化はもはや暗黙知ではないわけだから、彼ら自身の定義に従えば、もはや文化ではなく制度になってしまっているわけです。

 だから、こういう人たちは、ご本人がどう思っているかわかりませんが、本質的には近代主義者だと思うんですね。ただ、採用するシステムとしては、西欧のシステムよりも日本のシステムが優れていると主張しているだけで。まあ、別にそれはそれでいいと思うんですけど、それだったら、「伝統」などと思考停止の用語を使わず、日本システムの優越性を、純粋に理性的に論じて欲しいと思うわけです。

 象徴天皇制なんかも、半分以上は文化だと思うんですね。天皇家の嫁不足問題なんかにしても、昔の王政みたいな国家だったら、命令して強制的に嫁にするなんてこともできるわけだけど、民主国家ではそんなことをしたら人権侵害になるのでできません。

 かと言って、お金でつれるかと言えば、これも難しい。なぜかと言うと、そもそも、お金の価値というのは、自分の意思でいつでも好きなときに好きなものが買える自由とセットになっているわけですが、皇室の人にはそういう自由がないからです。だから、仮に皇室に入ればいくらでも金を使えるとしても、その金でブランド物のバックを買って合コンしたり鍋パーティをするわけにはいかないのですから、金があってもたいして意味がないわけです。もちろん、食うに困っているような人にとっては、衣食住が保証されるだけでも天国でしょうが、皇室の嫁がそんなヤツばっかりだったら、おそらく、天皇制という文化を支持する人はいなくなるでしょう。

 だから、象徴天皇制が持続できるかどうかは、結局、制度よりもむしろ、天皇制という文化を支持する人たちの、天皇家を魅力的なものにし、天皇家を敬愛するという習慣を守るという、自発的な努力にかかっているわけです (もちろん、合法的な範囲内でそういう努力をすることは、民主主義社会でも認められている正当な行為です)。

 ぼく自身は、そういう文化にはあまりコミットしていなくて、むしろ、民主主義という価値の方に強くコミットしている人間なので、別に天皇制がなくなってもかまわないと思っています。ただ、ぼくが天皇制を廃止しろと強く主張しないのは、

  • 現に天皇制という文化を支持している人たちが存在する
  • 天皇家がたいした権力を及ぼしているようには見えない
  • 天皇家の方々には人権がないと思うが、本人たちがそれを不満に思っている様子がない

というような消極的な理由に過ぎないので、このような条件が成立しなくなったときには、即座に天皇制廃止を主張するつもりです。

 繰り返しますが、そうなるかどうかは、制度よりもむしろ、天皇制という文化にコミットして価値を感じている人たちの自発的な努力にかかっていると思うんですね。それを何か国民全体のせいにしたり、雅子さんの性格のせいにしたりするのはおかしいと思うのです。世の中、制度的な支援などなくても存続している伝統文化はいくらでもあるので、象徴天皇制が本当に日本人にとって必要な文化であるならば、純粋に文化的な努力だけでも存続できないわけがないと思います。というわけで、ご健闘をお祈りいたします。

|

« プログラマ的文化・制度論 | トップページ | JDT と EBStudio »

ニュース」カテゴリの記事

政治」カテゴリの記事

法律」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/67762/6921847

この記事へのトラックバック一覧です: 文化は制度化では守れない:

« プログラマ的文化・制度論 | トップページ | JDT と EBStudio »