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努力と選択

 「努力」という言葉は、通常、精神力とか根性とかに結び付られることが多くて、精神力や根性のある人=努力できる人=偉い人、みたいに捉えてる人が多いと思うのですが、ほんとうにそうでしょうか。

 たとえば、子供の頃はできなかった努力が、大人になるとできるようになることがありますよね。ぼくなんかもそうでしたが、夏休みの宿題をギリギリまでやらない子供は多いですよね。でも、大人になると、たいていの人が、スケジュール通りに仕事をするようになります。ああいうのは、精神力や根性で説明のつくことなのか。

 ぼくはむしろ、地道な努力が苦手な子供が多いのは、子供には見えてないことが多いからだと思うのです。つまり、子供はあらゆることに対して経験不足ですから、自分が一日にできる量がどのくらいなのか、それをギリギリになってまとめてやることがどれほど大変なのか、みたいなことが実感としてわかっていない。だからこそ、平気でサボれるんだと思うんですね。一方、オトナになると、サボればどんな目にあうかが実感としてわかっているから、なかなかサボれない。

 たとえば、ここにマラソンの才能のある子供がいたとしましょう。仮に、この子が毎日 12 時間づつ 10 年間練習を続ければ、必ずオリンピックで金メダルがとれて、その金メダルをとったことにより得るものは、10 年間の練習の苦痛よりもはるかに大きくて、その子がマラソン以外の道を選んでも、マラソンほどには成功できないということが、100% 確実にわかっていたら、どんなにその練習が苦しいものだとしても、その子はその練習をすると思うのです。

 逆に、その子はどんなに練習をしても金メダルがとれなくて、金メダルをとれなかった場合にマラソンから得られるものは、練習により失うものよりもはるかに小さくて、マラソン以外の道を選べばもっと成功できるということが、100% 確実にわかっていたら、その子はどんなに根性があったとしても、マラソンの練習をしないでしょう。

 つまり、そこまでいろんなことがはっきりわかっていれば、練習をするかしないかというのは、努力というより、単なる選択の問題になってくるわけですね。だから、努力というのは、自分の本当の能力とか、やりたいこととかがわかっていないという、不確実性の産物だと思うのです。

 最近実感としてわかってきたのですが、人間歳をとると、少なくとも、自分の能力や嗜好については嫌でもデータが蓄積されてくるので、いろんなことが努力というより選択の問題になってくるのですね。周囲の人には、「あの人も成長したね」みたいに言ってもらえることもあるのですが、実は、当人にしてみれば、「こんなもんやらんとしゃーないやろ」という感じで、たいして面白くもなかったりするのです(^^)。

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