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小選挙区制ってそんなにダメかなあ

 なんか、ひところは「政治改革」の代名詞だった小選挙区制が、小泉自民党の大勝利のせいでえらく評判を落としているようですが、小選挙区制ってそんなにダメですかねえ。ぼくにはあんまりそうとは思えないのですが。

 社会選択理論の本なんかを見ても、結局、理想の選挙制度みたいなものはないわけでしょう? つまり、民意をもっともよく反映するのが最善の選挙制度である、みたいな問題の立て方をしても、最適解は求められないというのはわかっているわけだから、これは民主主義的なフィクションの一つと考えるべきでしょう。とすれば、むしろ、どのような選挙制度にすれば社会システムが安定するか、というシステム論的な観点で考えたほうがよいのではないでしょうか。

 前に書いた自動車の例で言えば、憲法とか法制度とかは、車で言えば車体やフレームに相当するもので、フィードバックシステム自体を維持している要素だから、ハンドルを切りすぎたら車がバラバラになったなんてことにならないように、言い換えれば、ポピュリズムに流されないようにがっちり作っておかなくちゃいけないでしょう。

 でも、選挙制度というのは、主権者たる国民がシステムを操作するためのハンドルに相当する部分のはずだから、わざわざ感度を悪くするという発想はおかしいと思うのです。前にも書いたように、右に曲がりすぎれば崖にぶつかるかもしれないし、左に曲がりすぎれば海に落っこちるかもしれないからと言って、右にも左にも曲がれないようなハンドルをつくれば、カーブを曲がることさえできなくて正面の障害物にぶつかるだけなんですから。

 さらに言えば、この運転手は、固定されたシステムではなく、自ら学習する能力を持った成長するシステムなので、学習を促進するような信号がフィードバックされる必要があります。つまり、ハンドル操作と車の挙動との相関がはっきりしている必要があるわけです。そのように考えれば、小選挙区制は、車で言えばパワステみたいなものとして正当化できるんじゃないかと思うのです。

 もちろん、これはヒューマン・エラーの危険と隣りあわせなので、もっと自動化して危険を防ぐほうがいいという考え方もあって、これも部分的には正しいと思います。ただ、どこまで自動化できるかというのは、システムの予測可能性みたいなものに依存しているので、たとえば、同じ交通機関でも、決まった軌道を走る鉄道ならわりと簡単に自動化できますが、いろんな環境を走らなくてはならない自動車の自動化はむずかしいわけですよね。だから、安定したシステムの中のサブシステムみたいなものは自動化できても、外乱のある外部環境に直接さらされるシステムの全自動化は難しいということになるわけです。

 国家というシステムも、やはり、不安定な外部環境に直接さらされるシステムですから、どこまで行っても全自動化はできなくて、最終的には国民が運転手として乗っている必要があるんじゃないかと思うんですね。もちろん、運転手が直接ハンドルを握るのか、何か突発事件が発生したときに指示するだけでよいのか、みたいな差はあるでしょう。でも、単に感度がよすぎるからダメというような批判はおかしいと思うのです。

 だいたい、知識人や文化人の方々は、選挙で自分の望むような結果が出ると、「国民は賢い選択をした」とかいうくせに、自分の望まない結果だと、ポピュリズムだとか選挙制度がおかしいとか言い出すものですが、前にも書いたように、国民は一定確率でヒューマン・エラーを犯すものですから、実際には、望ましい方向にふれるのも逆にふれるのも「たまたま」そうなっただけかもしれないわけですよね。もちろん、そうやって一般庶民を上げたり落としたりするのも、一つの批評のためのレトリックだとは思いますが、もはやそういう手法も陳腐化しているような気がしますね。だから、あんまり効果ないんじゃないですか(^^)。

 まあ、ぼくは最近の論壇の情勢とかよく知らないので、実はもっと説得力のある反論がでてきてるのかもしれないので、単にべんきょー不足だったらごめんなさいですが(^^)、今のところはそういう風に考えています。

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