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「社長運転手論」について

 「ぼぼ日」の「ダーリンコラム」で、糸井さんが社長を運転手にたとえて会社について論じていますが、岩井本をプッシュしている「ほぼ日」らしく、法人資本主義論寄りのたとえになっているので、これを、株主資本主義の側から見るとどうなるか、という補足をしてみましょう。

 まず、バスを買い取って乗り込んできた人が、まともな判断力のないただのバカみたいに書かれていますが、乗客については平均的な判断力を想定していながら、その人だけはバカに決まっているみたいな書き方をするのは不公平で、彼だって、バスが事故を起こせば大損害だし、自分が死ぬかもしれないわけだから、そのような事態はできるだけ避けようとするに決まっています。したがって、彼が自分で運転すると決め付けているのもおかしくて、もし自分が運転手より運転が下手だと思えば、わざわざそんなことはしないでしょう。

 また、運転手の運転能力は過去の実績で担保されるが、バスを買った人の能力はまったく未知数であるように書かれていますが、そもそも、何の実績もない人に、バスぐらいは買えても、大企業を買うことなどできません。

 もし、会社を買った人が、古きよき時代の王様とか大富豪とかのドラ息子で、なんの努力もせずに受け継いだ金を使っているだけなら、そういうこともあるかもしれませんが、現代において大金を動かしている人は、ほとんどが資金運用のプロです(数少ないドラ息子の生き残りだって、自分で運用している人などまれで、ヘッジファンドのようなプロに運用させている例がほとんどでしょう)。現に、堀江氏にしろ村上氏にしろ三木谷氏にしろ、大富豪の息子などではなく、自らの実績によって大金を動かせるだけの信用を身に着けてきた人たちで、現代においては、大金を動かせるということ自体が、ある種のクレディビリティを表している、と考えるべきでしょう。

 つまり、運転手が運転のプロなら、バスを丸ごと買うような人は、運転手に後ろから指図するプロなのです。もちろん、運転手があまりに下手糞だと思ったら、クビにして別の運転手を雇うかもしれないし、これなら自分の方がマシだと思えば、自分で運転をしてしまうかもしれませんが、そういう判断を含めて判断のプロなのです。もちろん、その判断が間違うことだってあるでしょう。しかし、それは運転手の運転についてだって言えることです。

 さらに忘れて欲しくないのは、バス自体が無傷だからといって、そのバスがこれまで無事に走ってきたとは限らないということです。そもそも株主資本主義がこれだけ注目をあびたのは、過去において、バス自体さえ無事ならバスの中も外もどうなってもよいと考えるような運転手がたくさんいて、排気ガスを撒き散らしたり通行人を平気でひき殺したり、さらには、佐高さん (が嫌いなら奥村宏さんでもよいが) とかがよく言っていたように、乗客イジメみたいなことまでしてきた、という事実があったからだったはずです。

 だからこそ、バスの外の利害を代表する人が運転手に指図する必要がある、というのが、コーポレートガバナンスということの意味だったわけでしょう。そして、前にも書きましたが、コーポレートガバナンスが株の持ち合いなどによりないがしろにされてきたことによる害をどうやって防ぐか、という制度的なアイデアは、岩井本の中にはまったく書かれていないのです。(この本には、それ以外にも疑問点がたくさんあるというのも、前に書きました。)

 「感じ」を大事にしたいという糸井氏の発言について、決め付けるような言い方でたいへん申し訳ないですけど、ひょっとして、氏の「感じ」の源泉になっているのは「よい会社」だけだったりしませんか? 現にうまくいっている会社にとって、コーポレートガバナンスがさして重要に思えないのは当然なのであって、もっと、世の中にゴマンとある「ひどい会社」のこともイメージすべきではないでしょうか? (このへんに、糸井氏と自分との経歴の差を感じてしまうのは、ヒガミでしょうか(^^)?)

 たとえば、ちょっと「ヒドイ」会社なら、自分が心血を注いでやって、絶対成功すると思っていた仕事が、何もわかっていない上司や社長によって打ち切られてしまう、なんてことは珍しくないですよね。あるいは、人事異動で、自分の望まない部署や上司の下に配属されてしまうなんてことは日常茶飯事ですよね。そのときに、社員である自分がその命令を受け入れなければならない理由は、最終的には、社長が会社の金を運用している側で、その金で自分の労働時間を買われているということに尽きるんじゃないんですか? それなのに、なぜ、「仕事は担当している社員のもので、上司や経営者のものではない」みたいな「仕事社員主義」的な主張をする人がいないんでしょうか。

 単に金を持っているだけで、能力のないヤツに会社を買われてしまう危険を言うなら、単に金を持っているというだけで、能力もないのに勝手に会社を作ってオーナー社長になってしまう身の程知らずはもっとたくさんいる、ということも言わなければ不公平でしょう。株式会社を作るための資金的なハードルは、上場企業を買収するための資金的ハードルよりずっと低い、ということもお忘れなく。(そういう会社で働いていて、上場してくれたら、もっともののわかった経営者がきて、給料もよくなるかも、と思っている人だってけっこういると思いますよ。)

 結局、どこの世界でも、就くべきでない人がポジションについたり、誤った判断をしたりということは一定確率で起こるし、それがまったくなくなることもないでしょう。ただ、どうしたらそういうエラーによる被害を最小限に食い止められるか、ということが、システムを設計する側の問題だと思うのですよね。そういう意味で、法人資本主義が株主資本主義に勝っているとは、私にはどうしても思えません。

 ぼくがつくづく不思議に思うのは、仕事を切られそうになった会社員だって、「お願いです、続けさせてください!」程度のことは言えるのに、なぜ、買収されそうになった経営者の方々は、「この会社を私以上にうまく経営できる者はいません。どうか私に任せてください!」ぐらいのことも言えず、「お前みたいな部外者に口出される言われはねえ!」みたいな子供みたいな反応しかできないのか、ということです。それで資本家を説得できてこそ、プロの経営者というものじゃないんですか。でなけりゃ、結局自分だって金の力だけが頼りだってことじゃないですか。違います?

 ちなみに、ぼくはよく理屈っぽいと言われますが、それはむしろ、自分の直感を重視して、どんなに理屈に合わない直感にでも無理矢理理屈をつけようとするからなのであって、自分では自分は直感派だと思っています(^^)。生意気なことばっか書いてすみません(^^)。

 あと、感情論でないことを示す傍証として付記しておくと、ぼくは野球も好きですけど、純粋に番組の好みだけで言えば、全放送局の中でもフジテレビの番組が最も好きだと言っても過言ではありません。これは、今でもそうです。

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