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夕凪の街桜の国

 こうの史代さんの「夕凪の街桜の国」を読了。糸井さんがあれだけ褒めているだけあって、よい作品でした。さりげなくいろんな伏線が張られているので、一回読んだだけでは完全には理解できず、何度も読み返しましたが、そのたびにジワジワと染みてくるものがありますね。

 「夕凪の街」の主人公は、広島で被爆した女性。一命はとりとめたものの、避難する途中で多くの人を見殺しにし、死体を踏みつけ、死体から下駄を奪い、川に浮いた死体に瓦礫を投げつける。それから十年たった今でも、自分が「死ねばいい」人間だと感じながら生きている。

 「桜の国」は、「夕凪の街」の主人公の弟の娘の物語。彼女の母は原爆症で夭折し、弟も喘息持ちなので、原爆の影響ではないかと怖れている。

 などと書くと、極めて特殊な状況を描いた作品だと感じられるかも知れない。しかし、不謹慎を承知で言えば、ぼくが今生きているのだって、広島や長崎や東京大空襲でぼくの両親の代わりに死んでくれた人たちのおかげだ、とも言えるかも知れない。あるいは、外地で戦って死んだ日本兵のおかげかも知れないし、その日本兵に殺されたアジアやアメリカやヨーロッパの人たちのおかげかも知れない。もっと言えば、明治維新の時に戊辰戦争で死んだ人たちのおかげかも知れないし、織田信長や足利尊氏や源頼朝に殺された人たちのおかげかも知れないわけである。

 これは、法律的な「責任」などとは別次元の問題であるから、そんなの自分とは関係ない、と言って「忘れてしまう」ことだってできる。しかし、それらすべてを、自分で「選んだ」ものであるかのように引き受ければ、その人の生はもっと豊かになるかも知れない。この作品が語りかけているのは、そういうことのように、私には想える。

(余談ですが、「日の君」問題について、ぼくがどうもひっかかるのもそのへんでありまして、確かに「日の君」は血に汚れていますが、だからと言って捨ててしまえばいい、というのは、あまりにも安易な選択なのではないか、むしろ、血に汚れた「日の君」だからこそ、ぼくらはあえて背負ってゆくべきなのではないか、と思ってしまうのです。まあ、この問題については、いずれきっちり論じてみたいと思います。)

 もう一つ忘れてならないのは、この人の絵のうまさですね。大友克洋さんみたいなうまさは、理解されやすいのですが、こういううまさは一般にはやや気づかれにくいので、強調しておきたいです。

 実は、ぼくは以前、自分はそこそこ絵がうまいと思っていて、漫研なんかにも入っていて、将来マンガ家になってもいいなと思っていたクチなのですが、そんないい気な妄想を木っ端微塵に打ち砕いたのが、高野文子さんの「絶対安全剃刀」という単行本。ぼくは、これを読んで初めて、本当の才能というものを理解したわけですが、ちょっとそのときに近い衝撃を受けましたね。

 手塚さんはたしか、「マンガの描き方」かなんかで、なるべくスクリーントーンは使うな、とおっしゃっていられたと記憶していますが、最近のマンガは、良かれ悪しかれ、トーンがないと成立しないような絵が多いですよね。でも、この作品では、トーンは一切使われておらず、陰影はすべて手描きのアミで表現されています。生半可な画力の人がこれをやると、汚くなってしまうだけなのですが、この作品のアミは実に繊細で美しいです。原爆ドームを全面に描いたページや、原爆スラムの昔と今を見開きで並べたページなんか、そのまま額に入れて飾っておきたいぐらいですね。人物の描線もすごくきれいで、決して描きこみすぎず、最小限の線で人物の内面まで表現しきっていて、ぼく、こういう絵にすっごくあこがれてたんですよね~。

 いや、単に技術だけのことではありません。この人の絵には、人物から背景から小道具の一つ一つに至るまで、作者のいとおしみが込められており、絵そのものが、世界に対する作者の愛情の表現になっているのです。だからこそ、重いテーマでありながら、読後感はさわやかなのでしょう。

 原爆がテーマではありますが、単に原爆は怖いとか、戦争はいやだとか、そういうことだけを描いた作品ではありませんので、毛嫌いせずに、一読されてはいかがでしょうか。

‐原爆と聞けば逃げ回ってばかりだった二年前までのわたしがいちばん知りたかった事を、描こうとしました。自分にとってもそうであった、と気付いてくれる貴方にいつかこの作品が出逢い、桜のように強く優しく育てられる事を、心から願ってやみません。‐(「あとがき」より)

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