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形式だけを論じたって、何も変わらない

 8 月 15 日が近づいて、また靖国参拝問題が再燃しそうな雰囲気ですね。この問題については、このブログでも過去 2 回ぐらい言及したのですが、もう一度だけパラフレーズしておくと、参拝というのは形式であって、それ自体に絶対的な意味があるわけではなく、その意味付けは人間がある程度恣意的に行うことができるのだから、形式だけを論じても何も解決しない、というのが私の結論です。

 極端な話、仮に無宗教の追悼施設を作ったところで、ウヨクやタカ派の方々が、勝手に施設の意味を再定義して、心の中では靖国神社だと思って参拝するかもしれないわけです。そうなれば、外交問題としては、一時的に改善されるかもしれませんが、それで、日本が、ハト派の方々の望むような、より平和な国になったと言えますか?

 そんなのは結局、キリシタンに無理矢理踏み絵を踏ませるようなものであって、たとえ踏ませることに成功したとしても、それはせいぜいがとこ権力闘争に勝ったという事実を象徴するトロフィーに過ぎず、信仰そのものは、地下にもぐってより陰湿な形ではびこるのがオチでしょう。逆に、日本が本当に心からアジア諸国の信頼を得れば、たとえ首相が軍服着て靖国神社を参拝したって、単なる形式の問題として許されるんじゃないですか?

 もちろん、形式がまったく無意味とは言わないけど、それはせいぜい就職活動にどんな服を着ていくか程度の話であって、自分のアピール戦略に合わせて、無難にコXカやアXXマのリクルートスーツを着たってもいいし、ちょっと気取ってアルマーニのスーツ(古いか(^^))を着たっていいわけで、そんなことが本質的な問題じゃないはずです。

 それがまた、すでに信仰にコミットしている側がこだわるならともかく、信仰を持っていない側が、わざわざ新たに「教義」や「戒律」みたいなものを作ってみたって、話をややこしくするだけでしょう。そんなことを何十年やってたって、和解の日なんて来ないと思うんですよね。 

 ぼくが靖国参拝反対論者の一部に感ずる強烈な違和感というのは、彼らが単に参拝に反対するだけならまだしも、その理由が、妙に精緻な理論体系になってて、「反靖国教」みたいになっちゃってることです。

 あなた方はそもそも何をやりたかったわけ? あなた方にとっての問題は、日本にを戦争に導き、アジア諸国に多大な苦痛を与えた、いわば「邪悪な宗教」の信者が、いまだ信仰を捨てていないのではないか、ということでしょう? そして、現代において、江戸時代のような宗教弾圧ができないとするなら、この問題は、単に信者に踏み絵を踏ませるだけでは解決しないはずなんですよ。

 そりゃ、「邪悪な宗教」の被害者から見れば、踏み絵を踏まない奴が憎らしいのは当然なのだから、とりあえず踏んどけよ、っていう話ならわかりますよ。

 それがなんか、やれ踏み絵に描かれているのは悪の象徴だから踏まなければいけないとか、やれ豚肉にはビタミン B 群が豊富で身体にいいから 1 日 1 回食べなければいけないとか、そんな議論ばっかりやってるように見えるわけです。そんな神学論争で、何か問題が進展しますか? ぼくにはどうしてもそうは思えないんですよね。

 逆に靖国を信奉する方の中でも、戦中からご存命の方や子供の頃からそういう家庭教育を受けてきた方ならともかく、オトナになってからなんかの本を読んだくらいで、「靖国は日本人のアイデンティティだ」とか言い出す奴はもっとどうかと思うけど。

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