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「国萌え」の作法

 前に紹介した北田さんの本とか、「国に萌える」人たちに対する批判(というか揶揄)する意見が少し増えてきたようですが、これもある程度時代の必然だと思うのです。

 (なんかこれも前にも書いたような気がするが(^^))そもそも、個の尊重とか基本的人権の尊重というのは、近代社会システムを維持するためのフィクションだと思うんですね。だから、国家の側が個人に自己犠牲を強いることは決して許されないけれども、個人が自分の意思で利他的にふるまうのは別に悪いことじゃないと思うんです。

 だいたい、人間って、純粋に自分のためだけに生きることなんか、やろうと思ってもできないんですよね。そもそも、愛情というもの自体が、他者の喜びが自己にとっても喜びであるという、利己とも利他とも言えない状態ですから。

 それを何か、「利己」が善で「利他」が悪だ、というような、一種の倒錯的な倫理にまで高めてしまったのが、戦後民主主義のおかしなところだ、という一部の認識は正しいと思います。

 また、最近では、その利他の対象が、家族や友人や地域共同体だったらいいけど、国家はだめ、みたいなこと言う人がいますけど、そんなに決定的な差ではないと思うんですよね。

 もちろん、「国萌え」にも迷惑なところはいろいろとありますが、やり方を間違えれば迷惑なのは、国萌えに限ったことではなく、会社萌え、スポーツチーム萌え、家族萌え、恋人萌え、子供萌え、平和萌え、弱者萌えなど、どれもやり方を間違えれば迷惑なのは同じことでしょう。

 そういう意味で、「国萌え」というのは必ずしも悪いことではないと思うのですが、戦時中みたいな抑圧的な社会にならないために、少なくとも、以下のような点は守ってもらいたいと思います。

 まず、「国」が唯一の「萌えアイテム」ではない、ということを認めること。利他の対象は人によってさまざまで、家族や友人に向かう人もいれば、世界平和というようなもっと抽象的な対象に向かう人もいるので、どれかが唯一絶対に正しいなどとは言えないのですから。

 それから、国に萌える「萌え方」についても、人それぞれさまざまなスタイルがある、ということを認めること。国を愛しているんだったら、こうしなければならない、みたいな安易な押し付けをしないこと。

(もっとも、このへんはサヨクとかハト派の方々も似たようなもので、平和を愛しているなら靖国参拝に反対しなくてはならないとか(いや、ぼくは実際反対なんですけどね(^^))、弱者の味方なら郵政民営化に反対しなくてはならないとか、勝手に決めるなよ、といいたくなることは多々ありますよね(^^)。)

 まあ、このぐらいの点を守っていただけるのであれば、「国に萌える」というのも決して悪いことではない、というか、奨励してもいいぐらいかもしれない(^^)。少なくとも、ロリや鬼畜に萌えるのより、国に萌えるのが悪いことだ、とは言えないでしょう(^^)。もっとも、残念ながら、ぼくとはあまり趣味合いそうもないですけどね(^^)。

追記 (2007/1/8): 姜尚中氏が「愛国の作法」という似たような題名の本を出していらっしゃいましたが、発表はこの記事の方が先ですので念の為 (^^)。もちろん、ぼく自身は、どっちが先かを争うほどのことだとは思っていませんが。一応念の為。

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