« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

軽さの美

 細野さんの音楽には、昔から、いい意味である種の軽快さというか風通しのよさがありました(その特徴は、ときに重苦しいほどにいろんなアイデアの詰めこまれた教授の音楽と並ぶと、特に際立っていた)が、「メゾン・ド・ヒミコ」のサントラは、その軽快さが前面に出た作品と言えるでしょう。

 雰囲気としては、モナド時代の「Medium Composition」とか、「Omnisightseeing」とか、コシミハルさんとのコラボ作品「SWING SLOW」なんかに近くて、「ランチタイム・ミュージック」的な要素が強いのですが、よく聴いていると、Sketch Show でやったエレクトロニカ的な技法とか、「COCHIN MOON」を思わせる瞑想的な要素とか、細野さんがこれまで培ったいろんな技の断片も発見できます。また、そういういろんな技が、これ見よがしにではなく、さりげなくしぶ~く使われているところが、いかにも細野さんらしいところと言えるでしょう。

 強烈なインパクトはありませんが、BGM として聴いていると、つい心地よくてずっと聴き続けてしまう、という感じの作品です。

| | トラックバック (0)

身長と配役

 今の若い子は知らないかもしれないが(オヤジの決まり文句だね)、昔の日本人は、今より身長が低くて脚が短かったと言われています。特に、戦時中は、食糧事情がよくないこともあって、なおさら低かったようです。

 だから、戦時中を舞台としたドラマなんかに、最近の脚の長い子が出ていると、どうも違和感を覚えてしまうのですね。おそらく、田丸麻紀さんや石川亜沙美さんやテレ朝の野村アナや TBS の小倉アナがいかに美人で魅力的であると言えども(^^)、モンペを履いて戦時中のドラマに出ていたら、やっぱりミスキャストに見えるだろうと思うのです。

 そういう意味では、加藤あいさんなんかは、いいキャスティングだと思うのですが、ドラマを製作した人は、そういうことも意識していたのでしょうか。ちょっと知りたいと思ったのでした。

(これだと、なんか馬鹿にしてるように聞こえるかも知れませんが、加藤さんは、高橋幸宏さんといっしょの番組に出てた頃から、かわいい子だと思ってたんですよ、ホント(^^)。もっとも、娘か妹みたいな感じですけどね。)

 もっとも、これが南海キャンディーズのしずちゃんなんかだと、「大女」みたいなキャラとして見られるので、それなりに自然に感じられるような気もします(^^)。

(あわててフォローすると、しずちゃんも魅力的な女性だと思ってます。だって、ああいうボケをできる人って、きっと結構アタマがいいと思うんだよね。(^^)) 

| | トラックバック (0)

流出 or リーク

 「NHK巡る本社資料「流出」と結論 3氏におわび」という記事が asahi.com に掲載。なんか、流出じゃなくてリーク(一部の社員が勝手にやったのか上層部の意思かはわからないけど)だったんじゃないの、という気がしてならないのですが(^^)、「現代」などというマイナーな雑誌を読んでいるのはごく一部の人であるのに対し、この流出事件自体は NHK さんが定時ニュースでばんばん流しているわけで、朝日さんのイメージがますます悪くなったことは否めませんよね。

 やっぱり、自民・NHK 側は、信念か開き直りか知らないけど、相当な覚悟で対峙しているのに対し、朝日側は、なんか痛み分けみたいなところで手を打とうとしている感があって、それで余計、打つ手打つ手が裏目に出てしまうという気がします。やっぱ、録音テープがあるんなら出すしかないんじゃないのかなあ。まあ、無責任な野次馬の意見にすぎませんけどね(^^)。

(注: 以上は、やや朝日寄りの記事に片寄っています。NHK 寄りの記事を読みたい人は、ご自分で探してみてくださいませ。(^^))

| | トラックバック (0)

細野さんの映画音楽

 細野さんが「メゾン・ド・ヒミコ」のサントラを出したので、早速注文してみたけど、この amazon.co.jp のレビューの「アニメ映画『銀河鉄道の夜』のサウンドトラック以来、久々に映画音楽を担当」というデータは間違いではないかい? その後、「源氏物語」とか「人間の約束」とかやっているはずですよ。こういうところにもの書く人は、もっとちゃんと調べなくっちゃ。

(ちなみに、「細野晴臣OMNI SOUND」所収の年表によれば、「銀河鉄道の夜」が 1985 年、「人間の約束」が 1986 年、「源氏物語」が 1987 年です、ってこんなこと調べてる場合か(^^)。)

| | トラックバック (0)

河北総合病院の社債

 河北総合病院が病院初の社債発行というニュース、Financial Times では、Capital Market二番目に取り上げられてますね。結構注目されているようです。

| | トラックバック (0)

争点

 今度の選挙は、争点が争点です。なんちゃって~(さぶっ!)

| | トラックバック (0)

Monex のカスタムメニュー

 マネックス・ビーンズ証券のカスタムメニュー機能は、松本 CEO が自慢なさっているように、確かによくできているし便利だと思うのですが、カスタマイズのデータをクライアントサイド、つまり Cookie に保存しているのはどうなんでしょう (具体的には、custom_num = "42+22+49+0+51+53+58+59+0+66+97+0+128+129" みたいな感じでアイテム番号が保存されている)。

 これだと、同じユーザーアカウントでログインしても、マシンやブラウザが異なるとメニューがリセットされてしまうという問題がありますよね。おそらく、マシンやブラウザごとに違う設定で使いたいユーザーより、同じ設定で使いたいユーザーの方が多いと思うし、なんなら、サーバーサイドに複数の設定を保存できるようにして、その設定の ID だけを Cookie に保存するようにすれば、マシンやブラウザに関わらず同じ設定を使うことも、マシンやブラウザごとに設定を変えることも簡単にできますよね。

 あと考えられる問題は、動作の軽快さやサーバーの負荷なんかでしょうけど、動作については、最大のボトルネックは回線速度だから、回線が高速化されればあまり問題にならなくなりますよね。サーバーの負荷については、データがないので確たることは言えませんが、My Yahoo! とかでも最近はみんなサーバーサイドでやってますから、できないことはないと思うんですけど(^^)。

 だから、やっぱりこれはサーバーサイドに保存すべきではないでしょうか、と、機会があったらメールしてみようっと(^^)。

| | トラックバック (0)

Spin の語源は?

 先日紹介した「仁義なき英国タブロイド伝説」という本には、spin という英語の語源について、「『スピン』には回転する、かき回す、という意味から転じて『情報操作』という意味がある。」と書いてあって、そんなものかと思っていたのですが、今、Wikipediaspin という項目を見たら、"Significant Progress In the News" の略だとか書いてあるじゃありませんか。

 あわてて、手持ちの語源辞書とかインターネット上の語源辞書とかもチェックしてみたのですが、類似の記述は見当たりません。いったいどっちがホントなんでしょう。別に、だからと言って夜眠れなくなるほどではありませんが(春日三球・照代って知ってる(^^)?)、ちょっと気になっちゃいますね。

| | トラックバック (0)

液体絆創膏

 液体バンソウ膏というものを初体験しました。先日、海水浴に行ったとき、岩場で足の裏を切ってしまったのですが、放っておいたらちょっと膿んできて、しかも、普通の絆創膏を貼ってもすぐ剥がれてしまう。何かよさげなものをコンビニで物色していたら、「メンソレータム キズぴったりカバージェル」という商品を発見。メンソレータム キズぴったりカバージェル 10g

 見た目や匂いは、子供の頃プラモデルの組み立てに使った「セメダイン」そっくりで、一瞬、こんなんでいいのかよ、と思ってしまうのですが(^^)、使ってみるとこれがなかなか。水にも伸縮にも強いので、水仕事をする指先や関節周辺のように、絆創膏の剥がれやすい部分に塗ってもなかなか剥がれないようです。

 ネットで検索してみると、水産加工や渓流釣りをやる人の間では、すでに知る人ぞ知るという感じの商品になっているらしいですね。

 こういうふうに、世の中いつの間にか着実に進歩しているなあ、と感じさせてくれる瞬間が、ぼくはけっこう好きです。

| | トラックバック (0)

おもしろくて、ためになる

仁義なき英国タブロイド伝説」山本浩著

 題名の通り、イギリスのタブロイド紙事情について書かれた本です。筆致は基本的にクールで、ときどき皮肉なツッコミは入るものの、大上段に振りかぶったジャーナリズム論などはほとんどなく、淡々と事実を記したという感じ。でも、その事実自体が、イギリスのタブロイド紙事情に詳さほど詳しくない私のような者にとっては滅法面白くて、あっと言う間に読み終えてしまいました。もちろん、私もタブロイド紙の悪名についてはいろいろと聞きかじってはいたのですが、このように真正面から取り組んだ和書は、あまりなかったような気がします。

 王室潜入ルポ、ダイアナ妃をめぐる報道合戦、ベッカム夫人ビクトリアの誘拐未遂報道、ブレアとメディア王ルパート・マードックの微妙な関係、ブレア政権のスポークスマンとして辣腕をふるったアレスター・キャンベルの権勢と転落の物語、そして、イラク戦争をめぐる報道合戦と誤報騒ぎなど、硬軟織り交ぜたネタは、ゴシップ的な興味で読んでももちろん面白いし、ジャーナリズムやイギリスの文化について真面目に考えたい人にも、興味深い材料を提供してくれるでしょう。中ほどに挿入されている「タブロイド小史」の登場人物も、実に傑物ぞろいで楽しめます。

 特に印象的だったのは、ある保守系のタブロイド紙が、警察の人種差別捜査を批判するキャンペーンを張ったときのエピソードです。その新聞は、「真犯人」を名指しで記事にするなど、かなりアンフェアすれすれのことをやりながら、ついに政府や警察を動かして、責任者に謝罪させたということです。つまり、イギリスの読者には、タブロイド紙に対するシニカルな態度があるので、タブロイド紙はかえって自由な取材活動ができ、そのおかげで、ときに大きな成果を挙げることができる、という逆説があるようなのです。もちろん、それを全面的に肯定できるかどうかは微妙な問題ですが、ジャーナリズムと読者の関係を考える上で面白い材料を提供してくれているのは確かでしょう。

| | トラックバック (0)

しつこいようですが。。。

 昨日の「日本の、これから」は「アジアの中の日本~戦後60年・互いの理解をどう深めるのか~」というテーマで、つい最後まで観てしまったのですが、靖国参拝の問題では、やっぱりフラストレーションを感じてしまいましたね。

 こういう複雑な国際問題をたとえ話なんかに矮小化すると、いろいろと問題があることはわかっているのですが、たとえば、自分が交通事故を起こしてしまったとして、賠償は済んでいて法律的には決着がついてるからとか、加害者と被害者の間には決定的な断絶があってどうせ理解しあえないのだからとか言って、見舞いに行かないとかのは確かにおかしいですよ。

 だからと言って、見舞いに行きもしないうちから、車で事故を起こしたのだから、お見舞いには車で行くべきじゃないとか、バスも車の一種だから電車で行くべきだとか、電車も広い意味で交通機関だから徒歩で行くべきだ、みたいなことを延々と議論しているのも変でしょう? そんな暇があったら、一回でも多くお見舞いに行けよ、みたいな(^^)。

 そこで仮に、被害者から、お前は二度とハンドルを握るな、と言われたとしましょうか。その答えだって、唯一絶対の答えがあるわけじゃないでしょう。F1 レーサーでドライバーが自分の生き甲斐だという人や、運送屋でドライバーをやらないと家族を食わせていけないみたいな人は、どうか続けさせてください、と言うかもしれないし、単なる休日ドライバーなら、はいやめます、って言うかもしれないし。

 要するに、もともと、宗教というのは非合理な要素を含んでいる上に、被害者との和解というのは感情の問題でもあるわけだから、理屈で唯一絶対に正しい方法を決められるという発想自体に無理があると思うんですよね。

 あと、宗教を完全なアンタッチャブルな領域みたいに扱うのも変でさ、キリスト教だって堕胎や同性愛を許容する教派もでてきてるし、イスラム教だってトルコみたいな世俗主義もあるし、本当に社会に根付いた宗教って言うのは、時代に合わせて変わっていくものでしょう? 

 だから、靖国神社の関係者や遺族の方の感情からして、どこまで妥協できるのかみたいなことだってもっと探るべきだろうし、もちろん、中国や韓国の人にもっと真意を説明した上でどこまで妥協してくれるのかも探るべきだろうし。

 まあ、番組自体はわりと希望のある感じで終わったけど、ああいう不毛な議論を延々やってる人を見てると、結局あんたら権力闘争が好きなだけなんじゃないの? と思ってしまうんだよね~(^^)。まあいいや。そういう人たちはほっといて、みなさんもっと生産的な努力をいたしましょうね。

| | トラックバック (0)

「国萌え」の作法

 前に紹介した北田さんの本とか、「国に萌える」人たちに対する批判(というか揶揄)する意見が少し増えてきたようですが、これもある程度時代の必然だと思うのです。

 (なんかこれも前にも書いたような気がするが(^^))そもそも、個の尊重とか基本的人権の尊重というのは、近代社会システムを維持するためのフィクションだと思うんですね。だから、国家の側が個人に自己犠牲を強いることは決して許されないけれども、個人が自分の意思で利他的にふるまうのは別に悪いことじゃないと思うんです。

 だいたい、人間って、純粋に自分のためだけに生きることなんか、やろうと思ってもできないんですよね。そもそも、愛情というもの自体が、他者の喜びが自己にとっても喜びであるという、利己とも利他とも言えない状態ですから。

 それを何か、「利己」が善で「利他」が悪だ、というような、一種の倒錯的な倫理にまで高めてしまったのが、戦後民主主義のおかしなところだ、という一部の認識は正しいと思います。

 また、最近では、その利他の対象が、家族や友人や地域共同体だったらいいけど、国家はだめ、みたいなこと言う人がいますけど、そんなに決定的な差ではないと思うんですよね。

 もちろん、「国萌え」にも迷惑なところはいろいろとありますが、やり方を間違えれば迷惑なのは、国萌えに限ったことではなく、会社萌え、スポーツチーム萌え、家族萌え、恋人萌え、子供萌え、平和萌え、弱者萌えなど、どれもやり方を間違えれば迷惑なのは同じことでしょう。

 そういう意味で、「国萌え」というのは必ずしも悪いことではないと思うのですが、戦時中みたいな抑圧的な社会にならないために、少なくとも、以下のような点は守ってもらいたいと思います。

 まず、「国」が唯一の「萌えアイテム」ではない、ということを認めること。利他の対象は人によってさまざまで、家族や友人に向かう人もいれば、世界平和というようなもっと抽象的な対象に向かう人もいるので、どれかが唯一絶対に正しいなどとは言えないのですから。

 それから、国に萌える「萌え方」についても、人それぞれさまざまなスタイルがある、ということを認めること。国を愛しているんだったら、こうしなければならない、みたいな安易な押し付けをしないこと。

(もっとも、このへんはサヨクとかハト派の方々も似たようなもので、平和を愛しているなら靖国参拝に反対しなくてはならないとか(いや、ぼくは実際反対なんですけどね(^^))、弱者の味方なら郵政民営化に反対しなくてはならないとか、勝手に決めるなよ、といいたくなることは多々ありますよね(^^)。)

 まあ、このぐらいの点を守っていただけるのであれば、「国に萌える」というのも決して悪いことではない、というか、奨励してもいいぐらいかもしれない(^^)。少なくとも、ロリや鬼畜に萌えるのより、国に萌えるのが悪いことだ、とは言えないでしょう(^^)。もっとも、残念ながら、ぼくとはあまり趣味合いそうもないですけどね(^^)。

追記 (2007/1/8): 姜尚中氏が「愛国の作法」という似たような題名の本を出していらっしゃいましたが、発表はこの記事の方が先ですので念の為 (^^)。もちろん、ぼく自身は、どっちが先かを争うほどのことだとは思っていませんが。一応念の為。

| | トラックバック (0)

ロボワード for トランサーの問題点

 PC-Transer に付属しているロボワード for トランサーという製品、今までほとんど使ってなかったので気づかなかったのですが、このソフトを起動していると、PC-Transer の学習辞書機能が使えなくなりますね。

 このロボワード for トランサーPC-Transer と辞書を共有しているのですが、どうやら、この共有辞書のファイルを開くときに排他アクセスで開いているようですね。

 まあ、PC-Transer の方には学習機能で辞書ファイルを書き換える必要があるんだろうから、排他で開くのもまだわかるのですが、ロボワード for トランサーの方は、別に排他で開く必要ないんでないの?

 っていうか、いまどき排他で開きっぱなしにしなくてもさあ、書き込むときだけ排他で開きなおせばいいんじゃないの? それとも、なんか、高速化のためのハッシュテーブルとか、ややこしいインデックスのデータでも作ってて、同期するのが面倒なのかなあ。

 まあ、細かい事情はよくわかりませんが、いずれにせよ、ちょっと減点ポイントですね(^^)。

| | トラックバック (0)

Blank Slate

 突然思い出したけど、"Blank Slate" を「空白の石版か」っていうのは、どうなんでしょうねえ。これって、英語圏でよく使われる一種の慣用句なんだけど、もろ直訳してますよね。あと、"Embracing Defeat" を「敗北を抱きしめて」っていうのどうなんかなあと思ったんですよね。enbrace っていうのは、新しい思想や宗教などを「受け入れる」という意味でわりと普通に使われる言葉で、別に比喩表現じゃないでしょう? っていうか、まあ、もともとは比喩表現だったんだろうけど、今ではその比喩性はほとんど失われているのでは? まあいいや。人の揚げ足取りばっかりしてると、自分が墓穴掘るからね(^^)。やめようやめよう。

| | トラックバック (0)

ロンボルグ対ポープ

 Foreign Policy という雑誌に、ロンボルグ氏とカール・ポープ氏(環境保護団体「シエラクラブ」の事務局長)の対論(The State of Nature) が載ってますね。

 ロンボルグ氏は、いつものように環境問題には「ソフィーの選択」が必要だと。ポープ氏は、ロンボルグ氏のデータを、エンロンのような「粉飾決算」だ、てなことを言っているようでありますが、何が「帳簿外取引」であるのかあんまり示せてないような。結局、なんかぜんぜんかみ合ってないような気がします(^^)。

 副題がなかなかレトリカルなので、引用しときます。

  • Our Roof Is Caving in (ポープ)
    • 「(空が落ちてきたのではなく、)天井がへこんでいるだけだ」
      • 空が落ちてきたのであれば逃げるしかないが、家の天井がへこんでいるだけなのだから直せばいい、という意味。
  • Let’s Try Priorities, not Propaganda (ロンボルグ)
    • 「プロパガンダをやめて、優先順位をつけよう」
      • ロンボルグ氏の十八番。P で始まる言葉を重ねている。
  • Stop Cooking the Books (ポープ)
    • 「粉飾決算をやめろ」
      • ロンボルグ氏のデータは、辻褄が合っているように見えるが、「粉飾決算」みたいなもので、「帳簿外取引」がある、と言いたいらしい。
  • Sophie’s Choice Is Real (ロンボルグ)
    • 「ソフィーの選択は現実だ」
  • Fighter Jets and Other False Choices (ポープ)
    • 「戦闘機をはじめとする間違った選択」
      • 戦闘機というのは、アメリカがパキスタンに販売した F-16 のこと。そんな金があるなら、環境問題に使え、と言いたいらしい。
  • Tilting at Windmills (ロンボルグ)
    • 「敵を見誤るな」
      • 風車と闘ったドン・キホーテの故事から来た言葉。同時に、火力発電所を風力発電所に取り替えろ、というポープ氏の言葉にもひっかけている。
  • Don’t Treat the Earth Like Enron (ポープ)
    • 「地球をエンロンみたいにするな」
      • エンロンというのは、もちろんあのエンロンのこと。先の「粉飾決算」という表現にからませている。
      • この中に出てくる Dr.Pangloss というのは、ヴォルテール戯曲の登場人物らしいです(無教養なので知らんかった。ヤバイね(^^))。
  • Less Charming, but Honest (ロンボルグ)
    • 「カッコ悪くてもいいから正直になれ」
      • ポープ氏のような環境保護論者が、耳ざわりのいいスローガンにばかりこだわることを批判している。

| | トラックバック (0)

African animals need your help

 これって、マジ? それとも詐欺? 判断付かん(^^)。検索してもほとんど情報がないし、末尾に記載されている URL のサイトにも接続できないし(^^)。

African animals need your help.

With your help, we can continue to make a better world for both african animals and people.

For more than 40 years, the African Wildlife Foundation (AWF) has focused exclusively on the continent of Africa. Through these years AWF has played a major role in ensuring the continued existence of some of Africa's most rare and treasured species such as the elephant, the mountain gorilla, rhinoceros and cheetah. AWF has invested training and resources in African individuals and institutions that have gone on to play critical roles in conservation. We have significantly increased scientific understanding of Africa's extraordinary ecosystems through research. We have pioneered the use of community conservation and conservation enterprise to demonstrate that wildlife can be conserved while people's well being is also improved.

African wildlife and wild land conservation programs receive an extra boost from individuals who've agreed to make donation. It's their support that give the ability to take advantage of new conservation opportunities and the resources to respond quickly to wildlife emergencies. Making a little donations is the simplest, most cost-effective way to support african wildlife-saving work. Become a Supporter and save african animals!

Our successes are notable over the past 40 years, but the wildlife and wild lands of Africa need your help now more than ever. Your help protects endangered african animals, provides emergency relief to african animals in crises.

Act now!
Help to african animals!
Make your own donation!

http://streamside.saveafricananimals.com

| | トラックバック (0)

スパム送信者に告ぐ

 スパム送信者の方。しょーこりもなくスパムを送信なさるのも結構ですが、表示義務違反はもちろん、児童ポルノ販売、未成年との売買春の斡旋など、少しでも違法行為の疑いのあるものは、すべて、思いつく限りの関係各所に念入りに通報させていただいておりますので、そこんとこよろしく。しつこい相手に対しては、whois でサイト所有者のアドレスを調査した上で、自動転送によるスパム返しなどの方法も検討させていただいております。あと、何かを長くしたいとか太くしたいとかも、余計なお世話ですから。って言うか、どうしてお前がそんなこと知ってんだ。見たんかい(^^)!

| | トラックバック (0)

形式だけを論じたって、何も変わらない

 8 月 15 日が近づいて、また靖国参拝問題が再燃しそうな雰囲気ですね。この問題については、このブログでも過去 2 回ぐらい言及したのですが、もう一度だけパラフレーズしておくと、参拝というのは形式であって、それ自体に絶対的な意味があるわけではなく、その意味付けは人間がある程度恣意的に行うことができるのだから、形式だけを論じても何も解決しない、というのが私の結論です。

 極端な話、仮に無宗教の追悼施設を作ったところで、ウヨクやタカ派の方々が、勝手に施設の意味を再定義して、心の中では靖国神社だと思って参拝するかもしれないわけです。そうなれば、外交問題としては、一時的に改善されるかもしれませんが、それで、日本が、ハト派の方々の望むような、より平和な国になったと言えますか?

 そんなのは結局、キリシタンに無理矢理踏み絵を踏ませるようなものであって、たとえ踏ませることに成功したとしても、それはせいぜいがとこ権力闘争に勝ったという事実を象徴するトロフィーに過ぎず、信仰そのものは、地下にもぐってより陰湿な形ではびこるのがオチでしょう。逆に、日本が本当に心からアジア諸国の信頼を得れば、たとえ首相が軍服着て靖国神社を参拝したって、単なる形式の問題として許されるんじゃないですか?

 もちろん、形式がまったく無意味とは言わないけど、それはせいぜい就職活動にどんな服を着ていくか程度の話であって、自分のアピール戦略に合わせて、無難にコXカやアXXマのリクルートスーツを着たってもいいし、ちょっと気取ってアルマーニのスーツ(古いか(^^))を着たっていいわけで、そんなことが本質的な問題じゃないはずです。

 それがまた、すでに信仰にコミットしている側がこだわるならともかく、信仰を持っていない側が、わざわざ新たに「教義」や「戒律」みたいなものを作ってみたって、話をややこしくするだけでしょう。そんなことを何十年やってたって、和解の日なんて来ないと思うんですよね。 

 ぼくが靖国参拝反対論者の一部に感ずる強烈な違和感というのは、彼らが単に参拝に反対するだけならまだしも、その理由が、妙に精緻な理論体系になってて、「反靖国教」みたいになっちゃってることです。

 あなた方はそもそも何をやりたかったわけ? あなた方にとっての問題は、日本にを戦争に導き、アジア諸国に多大な苦痛を与えた、いわば「邪悪な宗教」の信者が、いまだ信仰を捨てていないのではないか、ということでしょう? そして、現代において、江戸時代のような宗教弾圧ができないとするなら、この問題は、単に信者に踏み絵を踏ませるだけでは解決しないはずなんですよ。

 そりゃ、「邪悪な宗教」の被害者から見れば、踏み絵を踏まない奴が憎らしいのは当然なのだから、とりあえず踏んどけよ、っていう話ならわかりますよ。

 それがなんか、やれ踏み絵に描かれているのは悪の象徴だから踏まなければいけないとか、やれ豚肉にはビタミン B 群が豊富で身体にいいから 1 日 1 回食べなければいけないとか、そんな議論ばっかりやってるように見えるわけです。そんな神学論争で、何か問題が進展しますか? ぼくにはどうしてもそうは思えないんですよね。

 逆に靖国を信奉する方の中でも、戦中からご存命の方や子供の頃からそういう家庭教育を受けてきた方ならともかく、オトナになってからなんかの本を読んだくらいで、「靖国は日本人のアイデンティティだ」とか言い出す奴はもっとどうかと思うけど。

| | トラックバック (0)

暑いっ!

 まったくなんて暑さなの。冷房は嫌いなので、人間は扇風機で耐えしのいでいるのですが、CPU の温度が上がってしまって大変です。下記 CD をMP3 化していたら、ドライブから発生する熱のせいで、あろうことか、システムが緊急シャットダウンしてしまいましたよ。水冷式 CPU クーラーでも買おうかなあ。

| | トラックバック (0)

無邪気に還る

 教授が何かのインタビューで、自分には「少年ぽい甘さがあります」とか答えていたときには、正直「自分で言うかあ~?」と突っ込みたくなりましたが(^^)、確かに、若かりし日の教授の作品には、たとえば、YMO に提供した「音楽」であるとか、アッコちゃんに提供した「赤ちゃんのおしり」であるとか、「子猫物語」のサントラであるとか、「YOU」のエンディングテーマであるとか、糸井さんが詩を書いた「きみについて」とか、ある種の童心みたいなものを感じさせる一連の作品があり、ぼくはそういう作品を強く愛してきました。

 けれども、「SMOOCHY」を出し、中谷美紀さんのプロデュースをやりだしかころから、教授の作品はある種耽美的な傾向の方が強くなり、そういった傾向の作品は影を潜めていったような気がします。その理由は、いろいろと想像してみたりはするのですが、本当のところはわかりません。ひょっとしたら、家庭の事情かも知れませんし(^^)、今思えば信じがたいほど脳天気でいられたバブル時代が終わって、地下鉄サリン事件とか 9.11 とかシリアスな事件を身近に感じながら暮らす時代になった、そういう時代の流れに関係しているのかもしれません。

 「星になった少年」のサントラを聴いたときに、ぼくが第一に受けた印象は、そういう教授の無邪気さが久しぶりに戻ってきた、ということでした。それはもちろん、映画自体の題材の影響もあるんでしょうけど、それ以上に、教授の中でなにかがふっきれてより自由になったような感じを受けたのです。

 まるで、若い頃はとんがった作風で鳴らした画家が、老いてなお、一見素朴でありながら、より自由で大胆な絵を描きだすように、才気走った実験のための実験のようなケレンはみじんもないが、坂本龍一以外の誰にこれが作れよう、というしかない作品。ホント、音楽聴いて久しぶりに鳥肌たちましたよ。

 映画の題材からして、またアジアの民族音楽の要素をとりいれてくるんじゃないかと予想していたのですが、そんなところもほとんどなくて、一瞬、雅楽の笙を使っているのかと思ったところも、高音域の弦を複雑に重ねているだけのようです。もはや教授の中では、東洋音楽と西洋音楽の融合などというテーマも過去のものになり、なんのこだわりもなく自分の出したい音が出せるようになってきた、そんな気がします。

| | トラックバック (0)

レンタル収納を借りてみた

 部屋が狭くていい加減収拾がつかないので、近所にある Quraz というレンタル収納スペースを借りてみました。

 支払う費用だけを考えれば、広い部屋に引っ越した方が明らかに安上がりなのですが、引越しにかかる諸々の手間を考えるだけでうんざりしてしまうので(このへんがぼくのダメなところではあるのだが)、お手軽な道を選んでみました。

 こちらは、手続きは 1 時間ぐらいで済むし、キャンペーン期間中ということで、1 ヵ月分の賃料がタダ。

| | トラックバック (0)

血判状

 報ステに出た荒井広幸さんが、例の「ステルス作戦」参加者の血判状みたいなものを見せてくれたのですが、事情があって、とかなんとか言って、三人分ぐらいしか見せてくれない。テレビ観てるこっちは、あれー? なんで? と思ったのですが、古舘さんはつっこまずじまい。いや、そこはつっこみどころだろう、と古館さんに向かってつっこんだのは、私だけでしょうか(^^)。

| | トラックバック (0)

Peter Jennings 死去

 日本人にとっては今それどころじゃないかもしれませんが、ABC のアンカーマンとして有名な、 Peter Jennings 氏が亡くなったらしいです。肺がんだそうです。

| | トラックバック (0)

 おや、雷まで鳴り出したぞ(^^)。昔だったら、天のお怒りだ、とか言われたんだろうなあ(^^)。

| | トラックバック (0)

運命の瞬間

 ある意味、運命の瞬間が近づいています。しかし、これが日本の命運を左右するのか、というと、あまりそういう気はしません。むしろ、結果がどっちに転んでも、大きな流れはすでにほぼ定まっていて、その現実から一生懸命目を背けていた人たちが、改めて現実を直視させられる、ということになるだけのような気がします。さて、どうなることやら。

| | トラックバック (0)

Devastating bomb dropped on Japan

 Children's History of the 20th Centuryという子供向けの歴史の本にのっている、1945 年 8 月 6 日の記事。

At 8:15 a.m. this morning an American bomber plane called Enola Gay released its solitary bomb over the city of Hiroshima in Japan, and a new era in warfare began. As a result of a single atomic explosion, an estimated 80,000 people were killed instantly, and much of Hiroshima has simply ceased to exist. The people at the center of the blast have been completely vaporized, with charred shadows their only remains. Radiation levels in the area are dangerously high. A mushroom-shaped cloud of smoke and dust rising 5 miles (8 km) in the air above the city is all that can be seen. Relying on the explosive power of an atomic reaction, the atom bomb has been developed by an international team of scientists in the United States in a top-secret operation code-named the "Manhattan Project." The US launched the attack after Japan failed to surrender unconditionally, although rumors persist that this unprecedented use of nuclear weapons was unnecessary. What is clear now is thatJapan will either have to surrender or face further nuclear attacks. The Allies believe the attack will lead to an end to the war.

(拙訳) 今朝午前 8 時 15 分、エノラゲイという名のアメリカの爆撃機が、日本の広島市上空で、たった 1 個の爆弾を投下したとき、戦争史は新時代の幕を開けた。この一回の原子爆発で、約 80,000 の人が即死し、広島市のほとんどがあっさり消滅した。爆心地の人々は、焼け焦げた影だけを残し、完全に蒸発した。現在、この地域の放射線レベルは、危険域まで上昇しており、見えるのは、広島市上空 5 マイル (8 km) まで舞い上った、キノコ形をした煙と塵の雲だけである。原子爆弾というのは、原子反応の爆発力を利用した爆弾で、「マンハッタン計画」というコードネームを持つアメリカの極秘プロジェクトの中で、国際的な科学者のチームにより開発された。アメリカは、日本が無条件降伏に応じないのを見て、このような未曾有の兵器を使う必要はないのではないか、という根強い世評の残る中、攻撃に踏み切った。もはや、日本が降伏しなければ、さらなる核攻撃に直面することは明らかである。連合国は、この攻撃が戦争に終止符を打つことを信じている。

(注: この歴史書は、同時代の新聞記事の形式をとっているので、昔のことであるにもかかわらず現在形で書いてある。)

この本は洋書にしてはわりとニュートラルかな? もっとも、出版社はイギリスなので、そのせいかも。

| | トラックバック (0)

iTMS 日本版始動!

 ついに iTMS 日本版が始動。早速アカウントを作成して使ってみたけど、やっぱいいです。基本的な使い勝手は US 版とあまり変わらないようだし、曲数も出だしからいきなり充実してます。これは、Mora その他先行組にとってもかなり脅威でしょうねえ。みんな最初からこのぐらいシンプルな DRM にしときゃよかったのにね(^^)。

| | トラックバック (0)

鮮明になった?

 asahi.com に「若い男性、年収少ないと結婚率低い」という記事が出てて、パート・派遣など非正規雇用者や年収の低い男性の結婚率が低いことから、「晩婚化や非婚化は若者の価値観だけの問題ではないことが鮮明になった。」などと書いてあるんだけど、このデータだけからホントにそんなこと言えると思う?

 そもそも、あせって正規雇用につかず非正規雇用に甘んじながら「自分の本当にやりたいこと」を探したり、収入が低くてもいいから自分の好きな職業を選んだり、という傾向自体が、現代の若者の価値観の反映だと言われているわけでしょ? だとすれば、雇用形態や収入自体が価値観によって変わる可能性があるのだから、それだけで「価値観だけの問題ではないことが鮮明」になどならないんじゃないですか?

 さらに言えば、この記事には最近のデータだけで過去のデータがないし、ぼくも数字を持っているわけではないから断言はできないけど、おそらく、昔から、低収入の人の結婚率は高収入の人にくらべて低かったはずで、問題は、その比率が時代によって変わっているかどうかということであるはずです。

 たとえば、もし物価調整後の収入と結婚率の関係が、時代によってほとんど変化がないとすれば、低収入の人が増えたことにより結婚率が下がった、ともいえると思いますよ。でも、逆にもし現代のほうが昔に比べて、より収入による結婚率の差が広がっているとしたら、それはやはり、低収入で苦労してまで子育てをしたくないとか、低収入の奴とは結婚したくないとかいうような、価値観の変化の現れなんじゃないですか?

 要するに、晩婚「化」や非婚「化」というのは、絶対値ではなく相対的な変化の問題だから、時代による変化との相関関係を見なければ、なにもいえないはずなんだよね。

 どうも、この記事を書いている人は、結論先にありきで書いてるような気がするんだけど、そう簡単な話じゃないと思いますよ。もう少し冷静に分析したほうがよいのでは。

| | トラックバック (0)

手ヒレ

 これも知っている人にとっては何をいまごろ騒いでんの、という話なんでしょうけど、足ヒレならぬ手ヒレみたいなもの(アクアグローブ)があるんですね。もっとも、速く泳ぐためというよりは、エクササイズ用品みたいな扱いだけど。ここ数年、海にもプールにも行ってなかったんで、すっかり情報に疎くなっている(^^)。

| | トラックバック (0)

どーでもいーですよー

 例の飲酒事件について、いちおーコメントしてみようと思ったのですが、考えれば考えるほどコメントする意欲がなくなっていく感じ(^^)。

 未成年の飲酒がいけないのはわかりきったことだけど、それほど重大犯罪ではないのも確か。でも、やったのが有名人だと、必ず大袈裟に騒がれる。「与える影響が大きいから」というのがその理由らしい。

 でもね、いくら有名人と言ったって、生放送中や収録中に酒を飲んで見せたわけじゃなくて、プライベートな時間にやったことでしょう? 誰がわざわざ影響を大きくしてるんだ? マスコミじゃないか、と思うわけです。だから、マスコミが本気で世の青少年に与える悪影響とかを心配してるなら、わざわざ報道しなきゃいいわけですよ。

 ぼくは、アイドルタレントも女子アナウンサーも、別に「公人」だとはまったく思ってないので(宮台さんは「みなし公人」だとか言ってたけど)、彼らが自分の意思で提供しているサービスの品質が低かったら文句を言うけど、私生活の質なんて別に知りたくもないしね。彼らの私生活の質が低くて困るのは周囲の関係者だけなのだから、関係者同士で対処すればよいことでしょ。それをマスコミの責務みたいに勝手に思わせているのはマスコミ自身じゃないの?

 要するに、彼らが何か倫理的に高い水準にある人たちだと思わせてるのもマスコミなら、つまらない欠点を一生懸命探し出して引きずり下ろしているのもマスコミであって、無理矢理にでも落差を作って儲けようとしているわけだから、やりすぎになるのは当たり前。違うというなら、なぜ「XX君大目玉!」みたいな、決して肯定はしないが、いい具合にに手心を加えた記事みたいなのが出てこないのだ?

 何を勘違いしてるのか知らないけど、人を裁くことは本来マスコミの役割じゃないしね。だから、彼らに正当な罰を与えたいと思うなら、「報道」でなく「通報」すればいいだけのこと。今頃になってやりすぎだとか言ってる新聞もあるけど、そもそも、マスコミが「社会的制裁」を与えようとか思わなければ、やりすぎかどうかを考える必要すらなかったはず。

 しかも、女子アナの所属してるテレビ局もマスコミの一部だと考えると、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまうんだよね。勝手にやってれば? って感じ。どーでもいーですよー ((c) だいたひかる)。

(野暮を承知で言えば、もともとゴシップマスコミにとって、「正義」というのは、半分以上、覗き趣味を持つ読者との共犯関係を正当化する免罪符にすぎなかったはず。それを勘違いして純粋な正義であるかのように主張すれば、論理破綻するのはある意味当たり前。それがわかってないようなら、そんな下品な仕事はとっとと辞めてもらってかまわない。)

| | トラックバック (1)

シャーロック・ホームズの神学

 "The Theology of Sherlock Holmes" (「シャーロック・ホームズの神学」) などという HP を見つけたんですが、案の定「ボスコム谷の秘密」を最初に取り上げてますね(^^)。

This entire dialogue proceeds on assumptions of a Biblical reality including an assumed final judgment beyond the grave. The mingled justice and mercy in the exchange reflect clearly the defining characteristics of God himself and demonstrate that Holmes and his contemporaries lived in a culture where such realities were taken for granted. "There is one lawgiver, who is able to save and to destroy: who art thou that judgest another?" James 4:12.

(拙訳)この対話は、最後の審判などをはじめとする聖書的なリアリティを前提にして進められています。この正義と慈悲の入り混じったやりとりは、明確に(キリスト教の)神を特徴づける性格を反映しており、ホームズやその同時代人が、そのようなリアリティを当然のものと考えるような文化の中で暮らしていたことを示しています。「しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか(「ヤコブの手紙」第4章12節)」。

(最後の聖書の引用の訳は、「著作権フリー聖書」による。)

でも、予定説の話は出てこないなあ。解釈違うのかなあ(^^)。

 (関係ないけど、この HP の主催者は、純潔運動やってる人みたい。宗教右派なのかなあ。)

| | トラックバック (0)

シャーロック・ホームズ(について)の思い出

 山岡洋一氏がやっている「翻訳通信」という Web 雑誌で、仁木めぐみさんが「私的ミステリ通信」という連載をしていて、その中に、「シャーロック・ホームズカルトクイズ」みたいなのが載っていたので、早速やってみたら、10 問中 8 問も正解してしまいました(^^)。

 仁木さんは、「7問~9問、ホームズ・マニアでしょう。周辺書や関連書が出ていないか、いつもチェックされているのでは?」などと書いているのですが、そんなことないです(^^)。ホームズが好きだったのはかなり小さいころで、でも、子供の頃に凝っていた事って、歳をとっても意外と覚えてるものですよね。

 もともと、小学生の頃は、ホームズよりもルパン(ルパン三世じゃなくて、ルブランの書いたアルセーヌ・ルパンの方ね)が好きで、近所の図書館で全巻読破した覚えがあります。ホームズを読んだのは、たしか、中学校の図書館でじゃなかったかなあ。「フッフー」とかいうパイプをふかす擬音が随所に挿入されてて、独特の訳だったけど、わりと読みやすかったような気がします。その後は SF の方に行ってしまったんで、ホームズ・ルパン以外のミステリの名作って、意外と読んでないんですけどね(^^)。

 今、ホームズで一番印象に残っている台詞は、"The Boscombe Valley Mystery" の最後に出てくる、

"There, but for the grace of God, goes Sharlock Holmes."

(「神の恩寵がなければ、お前も同じような罪を犯していたのだぞ、シャーロック・ホームズよ。」)

というやつ。たぶん、ホームズのような「正義の味方」がそんな台詞を言ったところが、子供心に印象的だったのだと思いますが、今考えると、これはキリスト教の予定説 (predestination) の表れなんじゃないかと思いますね。

 これに限らず、子供の頃読んだ翻訳物で納得いかなかったところが、文化の違いが原因だったということは結構あるような気がします。今またホームズを読み直したら、いろいろと新しい発見があるかも(^^)。

| | トラックバック (0)

TS にして AGF (Anti-Gender-Free)

 面白い HP を見つけました。神名龍子さんという、MTF (Male-To-Female) の TS (Transsexual) でありながらアンチ・ジェンダー・フリー論者であるという方の HP

 意外に思う人もいるかもしれませんが、本人もおっしゃっているように、論理的に考えればちっともおかしくないんですよね。だって、TS っていうのは、男性でも女性でもないものになりたい、とか思っているわけじゃなくて、はっきりと女性になりたい、という欲望を持っているわけだし、女装とかをしたがることを考えれば、その性というのは、明らかにフィジカルな性よりもむしろジェンダーなわけです。だから、ジェンダーがなくなってしまったら、彼らの欲望の対象自体が消滅してしまうことになるわけですよね。

 この人の主張はぼくとすごく似てて、たとえば、

 このことから「男女平等」というのは一般に、「あらゆる意味で男女が同じであるべきだ」という意味ではなく、「ある分野においては同じであるべきだが同じでなくてもよい分野もある」と考えられていることがわかる。ほとんどの人は、「男女平等」をそういう意味で理解していて、だからしぐさの違いを「男女不平等」だとは思わない(男女が同じであるべきだと思わない)のである。

 では、私達はどういう分野において「男女は同じであるべきだ」と考えているのだろうか。これは大雑把にいえば「経済の領域」と「政治の領域」についてである。これを人間同士の関係という側面で見れば、経済の領域は「契約によって成立する関係」であり、政治の領域は「ルールによって成立する関係」である。これは近代社会に共通するルールであって、このルールがなかったら近代社会とはいえない。

(中略)

 しかし「平等」というのはそういう意味ではなくて、「違い(差異)があるにも関わらず」平等であるという事が要点である。例えば西欧であれば、カトリックであってもプロテスタントであっても市民(国民)として同等の権利を持つ。人種が違っても同等、性別が違っても同等。だが、江原の(つまりラジカルフェミニズムの)主張を敷衍するならば、差別をなくすためには、性差の否定だけではなく、人間は宗教的にも、人種としても統一されなくてはならないということになる。これは、とても「危険な思想」になるのだ。

(以上、「でたらめてジェンダーフリー」より)

 また、人間は自分の「あり得る」の大部分を、既に存在しているモデルを参考にして思い描く。だが、それを「自分らしさ」の放棄とは考える必要はない。そうでなければ、自分のあらゆる「あり得る」を、すべて自分で完全なオリジナルとして創出しなければならないという話になってしまう。そうしたい人はそれでもよいが、ほとんど何もできない内に人生を終えるだろう。たとえば、火を起こすことを考えてみよう。火を起こすにも、先例を参照することなしに、その方法を考えつくのは、大変な困難が伴う。そして、このような困難が、生活のありとあらゆる場面に伴うものだとしたら、「自分らしさ」どころか、事実上、人間らしい暮らしが不可能になることは明らかである。

 つまり、自分が何かをしようと思ったら、既存のモデルの中から良さそうなものを選ぶというのは、効率がよくて合理的な方法なのだ。そして私達は、長い歴史の中で多くの人々がさまざまなモデルを蓄積してきた。もちろんその中には、時代遅れで使えなくなったものもある。しかし私達が、多様なモデルの蓄積の恩恵に預かって生きているということは、疑い得ない事実である。そして多くの場合、私達はそのことを、誰かに支配されているとか抑圧されているとは感じない。むしろ私達は、過去の幾多のモデルを活用することによって、内容豊かな生を送ることを可能にしているのである。

(「『自分らしさ』とジェンダー」より)

 私の考えを総論的に述べれば、ジェンダーは決してなくなることはない。ジェンダーがなくならないということは、一定以上の男女がジェンダーを維持し続けるということである。ただし、ジェンダーの中身は時代と共に変化する。これはフェミニストやジェンダーフリー論者が何も言わなくても(また、そういう人たちが存在しなくても)、必ず変化する。これは言語と同じこと。古典と現代文を見比べればわかる通り、言語というのは、改革論者がいなくても、日本語なら日本語という基本骨格を残しつつ、しかし固定不可能なものとして変化する。

(「ジェンダーフリーは性差否定である」より)

というあたりは、ぼくが前にこのブログで書いた主張とほとんど同じ。もっとも、神名さんの文章の方がはるかにうまくて説得力があるのは言うまでもありません(^^)。

 この人、そのへんの三流フェミニストよりも(もちろん、単に頭が固いだけの保守派よりも)はるかに性について深く考えていると思うので、性の問題に興味のある人はぜひ読んでみませう。

| | トラックバック (0)

暴露したいんだってさ

 「暴露します。」というタイトルのメールが。内容は、

などを参照(^^)。まったく、いろんなこと考えるよなあ。。。

| | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »