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宗教的行為と意味

 人間の行為には、物理的に直接作用するものと、人間の感覚器官に働きかけることによって、人間の脳を介して間接的に作用するものとがあります。表現と呼ばれるものはだいたい後者で、言語表現はその代表的なものですが、儀式やセレモニーと呼ばれるような行為も、物理的な結果よりも、その行為が意味するものの方が重要な行為です。

 このような表現行為の持つ意味というのは、コード体系を共有する集団の中でしか伝わりません。いや、伝わらないだけならまだしも、別のコード体系によって別の意味付けをされることさえあります。したがって、このような表現行為の善悪を論ずるためには、誰と誰がどのようなコード体系を共有しているかを考える必要があります。

 イラクで亡くなった橋田信介さんの奥さんがイラクへ行くところをテレビで見ていたら、ちゃんとスカーフを巻いて髪を隠していたので感心しました。ぼくは橋田夫人のことをたいして知らないので、これは勝手な想像ですが、あれは別に橋田夫人がイスラム教徒に帰依しているというわけではなくて、イスラム教徒であるイラク人に敬意を表してやっているわけでしょう。

 この場合、イラク人たちと橋田夫人は、完全にはコード体系を共有していなくて、イラク人にとってのスカーフは「女性のすべき当然のたしなみ」というような意味を持っているのに対し、橋田夫人にとっては「イスラム教徒であるイラク人に対する礼儀」というような意味をもっているわけです。

 このような状況は、墓参などについてもよく見られます。どのように葬られるかというのは、亡くなった人の宗教によって決まるので、墓参する人が、自分の宗教がキリスト教だからといって、亡くなった仏教徒をキリスト教式に弔う、というようなことはしないわけです。

 勘のいい人は、そろそろぼくが何を言いたいか気づいただろうと思うのですが、念のため、ある意味これとは逆の例を挙げましょう。

 地下鉄サリン事件の後、オウム真理教の教徒が、未だに麻原を尊師と呼んでいるとかいうことに対し、事件を反省していないのではないか、という批判がありましたよね。それは、外部の者から見れば、そういう行為の一つ一つが、大量殺人を肯定するようなコード体系の一部をなす表現に見えるからです。

 でも、このような場合に、外部の者が、たとえば「麻原を尊師を呼んではいけない」みたいなルールを作って信者に守らせれば問題が解決するかといえば、そうではないでしょう。それは、信者の共有するコード体系から生まれた行為に対して、別のコード体系から勝手に意味付けをしているだけで、言わば、オウム真理教に対抗するために、反オウム教という別の宗教を作っているようなものです。

 この場合に問題なのは、あくまで、信者自身が自分の行為にどのような意味付けをしているかということであり、その意味付けが、外部の社会から見ても反社会的なものでないかということです。したがって、外部の者がやるべきことは、信者の真意をただすことであり、信者のやるべきことは、自分の真意をコード体系を共有しない者に理解できるように説明し、外部の信頼を得ることです。

 ぼくは、以上のような理由で、必ずしも軍国主義的な思想に共鳴しない首相が、純粋に戦死者に対する追悼の念だけで靖国神社に参拝するということもあり得ないことではないし、絶対的に否定すべきことではないと思っています。ただし、オウムの例と同じように、靖国神社の過去の歴史などを見れば、軍国主義の復活を懸念する方々が首相の真意を必ずしも信じられなかったり、いろんな悪影響を心配するのも無理はありません。

 ただ、そこで軍国主義の復活を懸念する方々の方が、いろいろ理屈をこねて「靖国参拝=軍国主義の復活」みたいな意味付けをするのは、「靖国教」に対抗するために「反靖国教」を作ることでしかなく、どこまで言っても不毛な争いの道だと思うのです。

 そうではなくて、軍国主義の復活を懸念する人たちは、素直に「首相の真意を信じられない」と言えばよいのだし、首相もそれに対して木で鼻をくくったような返答をせず、素直に信頼を得るための努力をすればよいのです(もちろん、参拝をやめてもいいが(^^))。分祀とか別の追悼施設とかいうのも、結局は、そういう信頼を得るための手段にすぎないのであって、どれが最も正しい方法か、などとゴチャゴチャ議論することは、文字通り不毛な神学論争にすぎないのではないでしょうか。

 実は、「日の君」問題についても同じようなことを感じているのですが、それはまた稿を改めて。

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