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批評と自己顕示の微妙な差

 前にも書いたような気がするのですが、このブログでは、単なる個人的な主観で人物の好き嫌い(特に嫌い)を言うことはなるべくさけ、言う場合もなるべく客観的な理由をつけて、公共性のある批評になるように努力しています。

 人様が不快になるようなことを、公の場で必要もなく言うべきではない、というのも一つの理由ですが、もう一つの理由として、客観性のない好き嫌いの表明は、一種の自己顕示に過ぎないと思うからです。

 つまり、理由もつけずに私はとにかく XX が嫌いだ、と書く人が本当に言いたいのは、みんなが騒いでる XX が嫌いって言えるオレってかっこいいでしょ? みたいなことでしかないと思うんですよね。

(もちろん、客観性を志向する批評にも、微妙に自己顕示が混ざっているわけですが、それは、公共の利益にもなるということで許されているわけです。)

 それがまた、個人的な付き合いの中でなら、そういう情報も、コンサマトリーなコミニュケーションのネタとして使えますが、何処の誰かもわからない匿名の人の好き嫌いを知ったからと言って、ほとんど何の役にもたちません。

 昔は、そういう個人的な好き嫌いを公の場で表明するのを避ける、みたいなことが、礼儀の一つとしてあったと思うのですが、ブログの場合、そういう個人的な感情が意味もなく垂れ流されているところが、なんとなく品の無さを感じさせる原因ではないでしょうか?

 ぼくは、このブログを、自己顕示の手段というよりも、むしろ、家の周りに打ち水をするような気持ちでやっているので、このブログでは、ぼくが個人的に嫌いな人物だからと言って、かならずしもけなされているとは限らないし、むしろ、嫌いな人物であっても、いいところだけ取り上げてほめてあることすらあります。だから、このブログを読んで、筆者の党派性みたいなものを読み取ろうとしても無駄だと思います。

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