パッケージ
政治は結果責任だとよく言いますが、外交においては、法治主義が未完成な国際社会を相手にしなくてはならないのですから、なおさらそうでしょう。
ぼく自身は不信心者なので、感情的にはそれほど共感できないのですが、それでも、首相が靖国神社に参拝することが絶対的な悪だとは必ずしも思っていないのです。ただ、そのことが現実的に国際関係を悪化させているとすれば、看過できないと考える人が増えるのもやはり当然でしょう。
ただ、外交政策というのは、パッケージとして成功していればいいのだから、靖国参拝をやめなくてもても、その分他のところで努力することにより、アジアとの関係を良好に維持できるんであれば、それはそれでアリだとも思うのです。現に、日中関係や日韓関係がこれほど悪化していない時には、首相が靖国参拝をしても、今ほどは騒がれず、わりと見逃されてきたわけですからね。
A 級戦犯が合祀されているとか、遊就館は明らかに東京裁判史観を否定しているんじゃないかとかいう問題にしても、首相が参拝することによって、即その思想が公式に肯定されたということには必ずしもならないとは思うのです。
ただ、それもやっぱり結果責任がとれていての話ですよね。こんなたとえをすると怒られるかもしれないけど、キムタクの HERO みたいな茶髪でジーンズの検事がいたとしても、もちろん絶対的な悪だとはいえないし、仕事ができりゃいいじゃないか、というのも一つの考え方としてあるでしょう。でも、少なくとも現在の社会では、それによって自分の評判が悪くなるかもしれない、という覚悟は必要ですよね。だから問題は、それを覚悟した上で、自分の流儀を押し通せる自信と計算があるのか、ってことですよね。
また、同僚の評判なんか悪くてもいいけど、自分の好きな娘に言われると、少々納得いかなくてもきいてしまう、みたいなことだってありますよね。それが、好きな娘に言われても、他の人と同じ対応だったら、好意が疑われてもしょうがないわけだしね。仮に、その娘の好意は失いたくないけど、これだけは理解してほしい、というような信念があったら、それを伝えるたけには、それなりの努力をするのも当然じゃないですか。もちろん、やりすぎて尻に敷かれるということもありますけど(^^)。
だから、この問題については、形而上学的な議論をゴチャゴチャやってもあまり意味ないような気がするんですよね~。まあ、この靖国カードを利用して常任理事国入りを決める、みたいなウルトラCをやられたら、みんな黙ってしまうと思いますけど(^^)。
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