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唯「言説空間」史観の限界

 この本は、要するに、思想問題として捉えられがちなネット右翼の問題を、「言説空間の歴史」という観点から捉えた本で、連合赤軍の「総括」から始まり、糸井重里さんに象徴される「消費社会的アイロニズム」を経て、田中康夫さんに象徴される「消費社会的シニシズム」に至る、という流れに歴史的連続性を見出すことにより、その流れの行き着く先として、ネット右翼に象徴される「ロマン主義的シニシズム」を位置づけようと試みたものです。

 こういう切り口は、もちろん、文化論としてはありうると思うし、極めて斬新とまでは言いにくいにしろ、そこそこ面白いとは思います。ただ、思想というものが言説空間だけに規定されるものではない以上、そこから何か思想的展望を得ようとしても限界があるはずなのに、無理にそれをやろうとしているために、論理が逆転している箇所が多々見受けられました。

 これは、例えて言えば、「冷戦時代の米ソは、思想的には対立していたが、軍隊の装備自体はよく似ていた」と言うようなもので、必ずしも間違いではないけれど、だからと言って、軍事力だけを分析しても冷戦が解決できるわけではないはずです。もちろん、「最初は思想のために戦争をしていたのが、だんだん人を殺すこと自体が快感になって、相手は誰でもよくなった」みたいなところが、ネット右翼にまったくないとは言わないけど、それですべてが説明できるとはとうてい思えません。

 そもそも、著者は、実存主義と世界志向が短絡することを矛盾だと感じているようですが、それがそんなに不思議なことでしょうか。たとえば、ハイデガーだって実存主義とナチズムを短絡させた形跡があるし、西洋近代が個人の実存と政治思想を切り離したことによる、ある種必然的な結果と見ることもできると思うのですが。

 そんなわけで、思想オタク的な言説空間に囚われてしまっているのは、むしろ著者自身ではないか、という想いを禁じえませんでした。

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