「外乱」のあるシステム
宮台真司氏が「思想塾」開講の告知をされています。
この設立趣意書の中で、ちょっと興味をひかれたのは、「 〈世界〉の根源的な規定不能性 」という話。というのも、たぶん宮台氏とはぜんぜん違う文脈だろうけど、ぼくが最近考えていることと、なんか似たようなことをおっしゃっているような気がするからです。
前にこのブログでも書いたけど、「ラプラスの悪魔」的な決定論的な世界観と、人間の自由意志とが矛盾するのではないか、という考えは、全知全能の神の視点と、有限の知しか持たない人間の視点の混同による錯覚だと思うのです。
つまり、「ラプラスの悪魔」のような、宇宙のあらゆる粒子の状態を知り、宇宙のあらゆる現象を予測できるような知性というのは、いくら人類のテクノロジーが発達しても、原理的に実現不可能なので(なぜ実現できないかは、渡辺慧氏の名著「知るということ―認識学序説」を参照)、特定の人間というオートマトンが、世界から受け取る情報を完全に予測することは、本人か他人かにかかわらず、人間にはできないのです。したがって、別に、人間の脳内にカオス的な予測不能性を想定せずとも、人間の行動を、人間が完全に予測することは不可能なので、そういう意味では、自由意志は存在する、と言えます。
言い換えれば、人間とか社会というシステムは、情報的には完全に「閉じた」システムではなく、自動制御論的に言えば、「外乱」のあるシステムなんですね。
ただ、人類の歴史というのは、さまざまなフィードバックループを導入することにより、この「外乱」のあるシステムの中に、相対的に安定したサブシステムを作り出そうという試みの歴史でもあったわけです。その試みが、近代以降思いのほか成功を収めてしまったので、ポストモダンブームの頃には、完全に外乱のない極限状態を想定してパラドクシカルなことを言う思想家が現れたり、反対に、外乱は決してなくならないのだから何やってもムダだ的なことを言う人が現れたりしたんだけど、これは、どっちも極論だったと思うのです。
実際には、外乱が完全に無くすことは決してできないけれども、外乱の中でも相対的に安定したサブシステムを作り、人類が管理できる領域を広げていくことはできるわけで、文化とか制度とか 、ある意味では、人類とか生物そのものも、進化の過程で自律的に発生した、安定化のためのシステムだと考えることができます。進化論的なパラダイムが社会科学にインパクトを与えたのも、進化論というものが、もともと、そういう外乱のある開いた系の中で、自律的に発生する秩序、というものを扱える方法論だったからでしょう。
ただ、こういうフレームワークに立って考えると、「 主意主義の本義は、主体ではなく、〈世界〉の根源的な規定不能性に関わっている。 」というだけでは不十分で、個々の主体が世界がら受け取る情報は、完全に同じではないけれども、相互のコミニュケーションを可能にする程度の相関性は持っている、というところが重要になってくると思います。(そう考えないと、主体がランダムでも、世界がランダムでも、大差ねえだろ? ということになってしまう(^^)。)
このような、社会を構成するエージェントが、完全に同一ではないが、一定の相関のある情報を受け取りながら相互作用しているというモデルをうまくつくれれば、社会科学をもう一歩深化させることができるような気がするんですけど、ダメかなあ(^^)。
(北川悦吏子さんがよく書くんだけど、恋人同士が電話で話してて、実際には離れた場所にいるんだけど、同じ月を見てその感想を伝えあっている、みたいなイメージね(^^)。余計わかんねえか(^^)。)
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