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愛は勝つか?

 日経 BP に、ガ島通信の藤代裕之氏による連載が登場。LF 問題が「愛」と「金」の二元論化している、という切り口で攻めています。

 前にも言ったけど、「愛」とか「金」とか言う言葉は、ある種多義的で余計な含意がありすぎるので、もともと、冷静な議論には相応しくないと思うんですよね。それを、あえてそういう言葉を使うのは、ある種の「ワード・ポリティックス」でしかないと思うのです。

 愛というものが、そんなに無条件に正当化できるものではないのは、言うまでもないことでしょう。主観的には愛でも相手から見れば迷惑、という例は、ストーカーをはじめ数限りなくありますし、当事者同士は喜んでいても第三者から見れば迷惑、という例も、某国の某時代の「愛国心」とか、バブル以前のある種の企業の「愛社心」とか、バカっぷるの人目をはばからないイチャイチャぶりとか、それこそ枚挙にいとまがありません。

 そもそも、愛があればすべてが解決するのであれば、誰も苦労しないのであって、むしろ、愛あるがゆえに、人はときとして闘わねばならないんで、だからこそ人は悩むわけでしょ(なんか芸風とちゃうぞ(^^))。

 堀江氏にラジオに対する愛がないとか言うけど、ぼくなんかは、ないからいいんじゃないの? とか思ってしまうんですけどね(^^)。当事者というのは、どうしても愛とか情とかに流されがちなものなので、だからこそ、愛に溺れない現実的・客観的な立場からものを言う人が必要なんじゃないの?

 当事者がどんなにラジオをふかくふか~く愛していたとしても、社会全体からラジオ業界に割けるリソースというのは有限なわけで、その配分がどの程度がふさわしいか、というのを決めるのが、資本市場の役割の一つなわけですから、その判断がラジオが好きな人にとって心地よいものばかりであるはずがないのです。(そういう意味では、「本当の愛」とか、堀江氏の「みんながハッピー」というのも、ある種の「ワードポリティックス」だと思いますけどね。)

 だいたい、「愛」とか言い出すと、結局、既得権のあるもの勝ちになっちゃうんですよ(だから、保守派と言われがちなフジサンケイグループ側がこれを主張するのは、ある種納得できるところもある)。だって、何が「本当の愛」かなんて、客観的に判定する方法なんてないんですから。俺はこれを愛しているんだから奪うな、って言えばなんでも通っちゃうってことでしょ。

 ぼくには逆に、「愛」がある人たちが、なんで俺たちは「愛」があるんだぞ、ってイバってばかりいるのかがよくわからないんですけどね。自分の「愛」を社会に認めてもらうのにだって、誠意と努力が必要なんじゃないかと思うんですけど。

 もちろん逆に、改革派を気取る人たちにも、改革と言うのはある種残酷なものなのだ、という意識を持ってほしいですね。自分のやっていることは、本当に人の「愛」を奪ってまでやる価値のあることなのかと。まあ、こういう言い方もある種偽善的なので、あまり好きではないんですが。

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