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分化の効用

 企業価値というのは、株主価値とイコールではないのではないか、という議論がありましたが、これについても、ぼくはあんまりややこしく考えるべきではないのではないかと思っています。

 そもそも、なぜ複雑なシステムをサブシステムに分けて考えるかと言えば、変数が減るとか、いろんな意味でシステムが単純になるので、最適化とかがしやすくなるからなんですよね。

 だから、資本の効率は資本市場で評価し、商品の価値は商品市場で評価し、労働者に対する待遇は労働市場で評価する、という形にすっきり分化させて、なおかつシステム全体がうまく動くのが理想だと思うのです。言い換えれば、株主に貢献している企業は、必ず、消費者にも労働者にも貢献しているはずだ、と言えるようなシステムを作るのが本筋だと思うんですよね。

 もちろん、これはある種の理想論で、実際には市場の失敗とかがあって、そんなにうまくはいかないから、運営する人がいろいろと配慮する必要はあるんだけど、少なくとも、システムを設計する側では、それを目指すべきだと思うんです。

 モラルとルールという観点で考えても、社会が複雑になればなるほど、本当の意味で何が正しいかを判断するのは難しくなりますが、単にルールを決めてそれに従わせるだけならわりと簡単なわけです。したがって、実際にはモラルがまったく不要になるということはありえないんだけれど、にもかかわらず、システム設計側の目標としては、あまりモラルに頼らず、ルールだけで運営できるようなシステムを目指すべきだと思うんですね。

 かつては、資本家が労働者を「搾取」したり、企業が消費者を犠牲にしたりというような現象が当たり前のように起こっていたので、そのようなシステムが本当に(近似的にも)成立するのかと疑う人が少なくないのも、わからないではないのですが、現在の市民社会の成熟度とか、社会科学の水準とかを考えれば、決して非現実的な目標ではないと思うんですね。

 余談ですが、前に紹介した、山崎正和さんの「柔らかい個人主義の誕生」のすごいところは、単に生産と消費は実は同じようなものだ、というような価値相対化をするだけにとどまらず、本来同じようなものが、なぜ二つに分化したのか、という理由までが射程に入っているところです。だからこそ、生産と消費のバランスのとれた社会とは何か、ということが、単なる懐古趣味にならずに議論できるわけです。

 この、変化と見えるものを分化とみなす、という発想法は、山崎さんの癖みたいで、他にもいろんなところに出てくるので、そう思って読み直してみると面白いかもしれません。

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