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よい敵対、わるい友好

 ニッポン放送問題についてのいろんな人の意見を見ていると、「敵対的」という言葉に対する反応が、世代によって大きく違うような気がしますね。そういう意味では、ぼくは両者の中間的な世代で、どちらの気持ちもある程度わかるような気がするので、ちょっと書いてみましょう。

 結論から言うと、最終的には、敵対的が正しいか友好的が正しいかというのは、一律には決めるのではなく、どちらが世の中全体を幸せにする(言い換えれば、社会的厚生を向上させる)かで決めるべきだと思うのです。

 日本語の「敵対」ということばには、ネガティブなコノテーションがあるので、そこで感情的に反発する人もいるんだと思うんですが、実際には、「敵対的」であることが、社会をよくすることもあるし、「友好的」であることが、社会を悪くすることもある。

 たとえば、市場におけるフェアな競争というのは、基本的には、敵対的であるがゆえに、社会全体の厚生の向上に結びつくと言われているし、スポーツの試合なんかだって、本気で戦ってくれなきゃつまらない。逆に、株の持ち合い、談合、カルテル、コネ、八百長などは、みんな、一部の人たちが友好的であることが、社会全体の不利益に結びついているわけです。

 あるいは、他にもっと安くて質のよいサービスを提供してくれる人がいるにもかかわらず、友人だからといって優先的に仕事を回したりするみたいなことも、美談みたいに言われがちですが、これだって、社会全体の生産性からみればマイナスなんですよね。もちろん、気心が知れているから、能力だけ見れば劣っていても、総合的に見ればむしろ効率がいい(一種の「取引費用」の問題)、みたいな場合はまた別ですが。

 あるいは、「話し合いで決める」というのも、言葉だけ聞くといいことのように聞こえがちですが、現実社会では、一見話し合いという形はとっているけれども、実は、当事者同士の力関係で決まっている、みたいなことが結構多くないですか? 「君がそうしたいんだったら、好きにすればいいんじゃないですか。こちらには強制する権利はないし。にこっ」みたいなやつね(^^)。

 そう考えると、明示的に対価を提示して、これだけ払うから協力してくれませんか、みたいな方が、そういう暗黙の権力みたいなものが生まれないし、よりよい条件に最適化される機会も多いし、むしろフェアだとも言えるわけです。もちろん、敵対的は敵対的なんだから、当事者同士に仲良くしろと言ってもしょうがないのですが、第三者までが当事者的な視点で判断する必要はないと思うのですね。

 ただ、ここで問題なのは、どのようなシステムが「社会的な厚生の向上」に結びつくかというのは、実際にはそう簡単には決められない、ということなんです。そうすると、前にも書いた絶対的な正義か合意の正義かという話になって、民主主義的な方法論で行くなら、どのシステムがより「社会的な厚生の向上」に結びつくかという合意を事前に形成し、社会的な意思決定する必要があります。

 この意思決定は、法律のレベルでやるのは簡単なのですが、実際には、どのような社会システムも、個人がそれに適応的な倫理観を持って協力的に行動しないと機能しないわけですから、制度と個々人の倫理観との間には、常にギャップが生じることは避けられません。(ほんとは、法律を決めた時点で、その理念的な意味とか、その制度に適応的な倫理観とはどんなものか、というのをもっと広めるべきだったとは思うんですけどね(^^)。)

 上に上げた「害のある友好」の例だって、今でこそ多くの人がその害を認めるようになっていますが、かつてはそれほど悪いことと思われていなかったわけで、上の世代の人には、そういう行動様式が倫理として身体に染み付いているのかもしれません。逆に、今の社会科学の水準だと、そういう行動様式の弊害が、ある程度理論的に分析できてしまうのですが、若い世代はそういうものを学校で習っているし、宮台真司さんも言うように、今の若い子は、感覚的にも流動性の高い人間関係に慣れているので、「敵対的」であることを上の世代ほどには倫理的な悪だととは感じていないのかもしれません。

 そうなると、これは単にどちらがよりよいシステムか、ということを超えた、倫理観同士の対立になってしまうわけです。もちろん、こういう対立は、その倫理観が前提とするシステムのどちらが優れているかを、理性的に分析することによって解消すべきだとは思うんだけど、それでみんなが納得するなら、そもそも合意の正義か絶対的な正義かなんて悩む必要もないわけですから、最終的には、実際にやってみて、どちらがより世の中をよくするかで決めるしかないところもあると思うんですね。

 そういう意味で、新撰組みたいな人たちが、自分の信念に殉じるのだって、必ずしも悪いことだとは言えなくて、一生懸命説得してもしょうがない、という現実も厳然としてあると思うのです。だから、世の中を変えようとする人たちは、そういう抵抗に正面からぶつかって、実際によりよい世の中を作って見せるしかない。それができないのだったら、しょせんはその程度の信念だったというしかないと思うのです。

(以前に、「歴史を動かすのは悪人だ」と書いたのは、そういう意味もあるんですが、やっぱり説明しずらかったなあ(^^)。) 

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