ジャーナリズムの未来
また堀江氏ネタで恐縮ですが(今回の顛末はどうあれ、この人のおかげでいろんなことを考えさせられたことだけは感謝しないといけないでしょうね(^^))、彼が言ってる「無色透明なジャーナリズム」ってのはどうなんでしょうね。
もちろん、ジャーナリズムの役割が変わってくるのは確かだと思うんですよ。特に、これまでのジャーナリズムの存在意義は、まずは一次情報の収集にあったと思うけど、インターネット時代には、一次情報なんて、(堀江氏もやっているように)当事者や関係者自身が自分で発表できちゃったりするので、わざわざ収集する必要が少なくなってくるのは確かでしょう。
でも、そのように一次情報が氾濫すると、逆にエディターシップの重要性が高まってくるので、これからのジャーナリズムは、むしろそっちの方に存在意義を見出していくのではないかという気がするんですけど。それも、単に情報を分野別に分類整理するなんてことは、ある程度自動化できるようになってしまうので、独自の価値観を持った人間にしかできない、より高度なエディターシップが求められるようになるのではないでしょうか。
また、情報のチャンネルが増えると、公正中立な報道を目指す、ということの意味も変わってくるはずですよね。もちろん、まったくのウソはどっちにしろいけないんだけど、取り上げ方が片寄ってる、みたいな批判は、チャンネルが限定されていた時代の産物で、チャンネルがたくさんあれば、ユーザーが自分でいろんなチャンネル比較してバランスをとれるので、そういう批判はあまり意味をなさなくなってくるはず。
堀江氏は、自分で情報を見て判断すればいいというけれど、そりゃ、ぼくも自分の専門分野についてはそうしてますけど、他の分野については、いちいちそんなことしてるヒマなんかとてもないですからね。堀江氏同様、ぼくも新聞はとっていないのですが、日垣隆氏のメルマガとかには金を払っています。それは、一次情報を得るためと言うよりも、むしろ、日垣氏のエディターシップを評価しているからです。堀江氏が既存のジャーナリスムに不満を持っているのは、エディターシップが存在することに対してはなく、むしろ、そのレベルが低いことに対してじゃないんですかねえ。そういう不満なら、ぼくにもありますし(^^)。
さらに、高度なエディターシップを前提にすると、一次情報の収集という作業にも、また別の意義が出てきますよね。つまり、情報の山を、なんらかの問題意識で切り取れば、いわゆるミッシング・リングになるような部分とか、あるいは、他の情報と照らし合わせると信憑性の低い部分が出てくるはずです。そういう部分の情報を収集するとか、裏トリをするとかっていうのは、問題意識をもたずに、ただ漫然と情報を集めていてもできることじゃありませんからね。
ですから、ぼくはむしろ、今後のジャーナリズムは、無色透明とは真逆の、それぞれ独自の視点を持った高度なエディターシップを前提としたものに変わっていくんじゃないかと思うんですけどね。いわば、新聞型から週刊誌型に変わっていくというか。また、そうでないと生き残れないでしょうしねえ。
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