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フーコー的権力に勝つ方法

 表題には「フーコー的」と書きましたが、ここに書き留めておきたいのは、フーコー個人の考えに対する反論ではなく、ある種の文化決定論というか、個人の行動や思考は、その個人が属する文化によって決まる、というような考え方一般に対する反論です。

 思想家の中には、このような文化の力をかなり過大視する人もいますが、私には、文化の力が、個人がその影響から脱するのがまったく不可能なほど強いものだとは思えないのです。

 話を単純化するために、人間のかわりにロボットを考えて見ましょう。ロボットというのは、人間がプログラムしたものだから、その行動は完全に読めると思っている人がいるかも知れません。しかし、これは錯覚なのです。

 ロボットの知能のモデルとなるオートマトンには、行動が入力によって完全に決まる決定性オートマトンと、確率的なゆらぎがある非決定性オートマトンがありますが、私は、非決定性だから読めない、と言っているわけではありません。実は、たとえ決定性であっても、行動が読めない可能性はあるのです。なぜかと言うと、人間はロボットに対する入力を完全にコントロールすることはできないからです。

 ロボットと言うのは、パソコンのように、人間からだけ入力を受とっているわけではなく、自然界から直接さまざまなシグナルを受け取っています。したがって、この入力をすべて予測もしくはモニタできない限り、完全に行動を予測することはできないのです。このことは、ロボットコンテストなどを見ていれば、すぐ実感できると思います。

 これは、人間についても同じことであって、人間は、人間から発信された情報もたくさん受け取っていますが、自然界からの情報もそれ以上にたくさん受け取っています。そして、その自然界から受け取る情報は、一人一人みな違っています。したがって、どんなにフーコー的権力が強力であっても、それだけで個人の行動を完全に制御することはそれほど簡単なことではないのです。

(だからこそ、現在のロボットの多くは、工場のような人工的に管理された環境で使われているわけです、これが、惑星探査とかに使うと、行方不明になってしまったりすることがあるのはご存知の通り。)

 その傍証は、歴史の中からも見出すことができます。たとえば、かのガリレオは、アリストテレスの自然学という、当時の支配的な知の枠組みの根幹をなす言説である、落体の法則を否定したわけですが、彼は、レヴィ・ストロースのように、非西洋的な世界に行って何かを教えてもらったわけではなく、自ら実験することによってより現実に合った法則を発見したにすぎません。

 もちろん、彼がそういう実験を思いついたこと自体が、すでにパラダイムがシフトしかけていたことの現われである、という面もあるでしょう。しかし、そのようなパラダイムシフトに先鞭をつけたコペルニクスやティコ・ブラーエにしても、やはり、精密な観測に導かれて、パラダイムの呪縛から抜け出していったのです。むしろ、本当に当時の人々をしばっていたのは、ガリレオを宗教裁判にかけるような実体的な権力の方だったのではないでしょうか。

 そういう意味で、自分の五感で世界を観察し、自分の力で考えようとする人なら、誰でもフーコー的権力に勝てる可能性がある、と私は思います。

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