「べき」にもいろいろあるはず
内閣府が 5 日付で発表した「男女共同参画社会に関する世論調査」によると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方が、初めて多数派になったとのことです。
まあ、ぼくはどっちが多数派かにはたいして興味がないのですが、この手のアンケートでいつも気になるのは、「…べき」という質問が大雑把すぎやしないか、ということなんですよね。
つまり、実際には、自分の家庭では、妻に仕事を持って欲しくないと思っているが、他所様の家庭に関してはどうでもいいと思っている人もいるだろうし、逆に、日本の家庭はすべてそうあってほしいと思っている人もいるはずなのに、この質問だとその区別がよくわからないからです。
前者は個人的価値観ないし信条の問題であるのに対し、後者は社会倫理の問題ですから、この違いは社会政策を考える上でも重大はずなのですが、こういうアンケートを作る人は、そのへんの区別に無頓着な傾向があるようです。
ぼく自身は、個人的価値観としても、社会倫理としても「妻は家庭を守るべきである」とはまったく思っていないのですが、仮に、個人的信条としてそう思い、それを実践している家庭があったとしても、別に勝手だと思うんですよね。
なぜなら、世の中には、主婦としては非常に有能であるが、他の仕事にはあまり向いていないという女性もいるはずだし、逆に、仕事では非常に有能であるが、家事や教育に関してはまったく無能という男性もいるはずなので、そういう男女が協力し合う仕組みがあったほうが、社会のためになると思うからです。
もちろん、主夫としては非常に有能であるが、他の仕事にはあまり向いていないという男性や、仕事では非常に有能であるが、家事や教育に関してはまったく無能という女性だっているかもしれないので、そういう男女がカップルになるもの、社会にとってはいいことかもしれません。
こういう問題を考えるときに重要なのは、そもそも、社会倫理でしばる必要があることかどうかということなんですよね。つまり、社会現象には、倫理や法律でしばっておかないと、モラル・ハザードを起こして堰を切ったように悪い方向に流れていくような現象と、ほおっておいても、自然によい状態に均衡するような現象があって、前者については倫理をうるさく言う必要もありますが、後者については別にそうでもないからです。ぼくは、この問題に関しては、ほおっておいてもそんなに悪い状態になるとは思えないんですよね。
もちろん、そういう性役割は選択可能なものなのだ、という意識を広める必要はあったと思うのですが、それが広まってしまえば、後はわざわざどっちかに強制する必要はないし、するべきでもない、というふうにぼくは思うのです。
このへんの違いを意識した方がいい問題は、他にもいろいろあると思われるのですが、それはまたいずれ。
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