ぼくらが宇宙人が大好きだったころ
もう、遠い昔のことになってしまったような気もしますが、1970 年代後半から 80 年代前半にかけて、ちょっとした宇宙ブームみたいなものがありました。
ちょっと調べてみると、火星にバイキング探査機が着陸したのが 1976 年、スピルバーグの映画「未知との遭遇」が公開されたのが 1978 年、同じく「E.T.」が 1982 年、カール・セーガンの「コスモス」が 1980 年。
当時は、カール・セーガンを初めとする著名な学者がまじめにファースト・コンタクトの可能性を論じ、パイオニアや ボイジャーには宇宙人へのメッセージが搭載され、子供の間では、いまならトンデモの一言でかたづけられそうな UFO 本が大流行といった具合。
ついでに言えば、この頃は、日本 SF 界にも第三世代の書き手が登場し、「浸透と拡散」などといわれた時期だし、テクノポップが流行したのもこの時期です。
いまでこそ、理科離れが言われ、松井孝典先生が「なぜタイタンはこんなに話題にならないんだ」と嘆くような状況になっていますが、ほんの 20 年ほどさかのぼると、こんなにみんなが宇宙系の話が大好きだった時代があったわけですよね。
あれはいったいなんだったのかと考えてみると、思うに、あれはひょっとして、冷戦下の閉塞状況の裏返しだったのではないでしょうか。
当時は子供だったのであまり自覚はなかったのですが、初期スピルバーグ作品に繰り返し表れる、「心を開けば宇宙人にだって気持ちは通じる」というメッセージ、あれは、戦争をすれば破滅だということがわかっていながら、お互いに人類を何回も滅亡させられるような核をつきつけ合っている世界の現実に対するアンチテーゼであって、だからこそぼくらはあんなに感動したのではないでしょうか。あるいは、そういう状況をやめることのできない人類に対する絶望の裏返しが、宇宙人へのあこがれになったのではないでしょうか。
一方、この時代の日本は、すでに学生運動も下火になり、高度成長期・学歴社会の中で、どのレールに乗るかで人生がだいたい決まってしまうと言われ、サラリーマンは横並び主義で平穏無事にやっていけた時代でもありました。この身近な世界での平穏と、遠い世界でのカタストロフの予感というアンバランスが、宇宙へのあこがれを生み出した、と言ってはうがちすぎでしょうか。
正直言って、ぼくは今あらためて「未知との遭遇」や「E.T.」を見直しても、あまりに能天気すぎる気がして、昔ほど素直に感動できないのです。むしろ、宇宙人にでも希望を託さなければやっていけないほど絶望していたのか、と当時の心情を想像することによって感動する、という感じになってしまう。
ちなみに、アメリカがベトナムから撤退したのは 1973 年、ペレストロイカが始まったのが 1985 年くらい、ベルリンの壁が崩壊したのは 1989 年のこと。
考えてみれば、ぼくらはあのころ、「明日核戦争が起こって人類が滅亡してもおかしくない」などと脅かされながら毎日けなげにも明るく暮らしていたわけで、これがどれだけ精神的な抑圧になっていたか、というのは、ベルリンの壁が崩壊して始めて気づいたようなところがあると思うのです。
だから、ぼくは昨今の「9.11 以降世の中は悪くなる一方だ」みたいな論調にちょっと反発するところがあって、ベトナムや中東やアフリカで毎日のように本物の戦争が起こっていた時代や、ベルリンの壁が崩壊したときの気持ちを、ぼくらはもう一度思い出したほうがいいのではないかなあ、とちょっと思ったりするのです。(^^)
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