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明石歩道橋事故に対する疑問

 あの明石の歩道橋事故について、警察、警備会社、明石市の3者の過失を認定する判決が出たそうです。私は、この事故について、細かい事実関係も知らないし、法律の専門家でもなければ警備の専門家でもないので、的外れかも知れませんが、少々疑問があるので書いてみようと思います。

 そもそも、責任というものは、何かアプリオリに存在するものではなくて、リスクとコストのバランスを考えたときに、社会的便益が最大化された(あるいは負の便益が最小化された)状態を実現するための、インセンティブだと考えるべきだと思うんですよね。

 このような事故の場合、主催者側の責任をゼロだとすると、主催者にとっては、まったく警備を行わないことが最適の選択になってしまいますから(主催者側のモラル・ハザード)、これがまずいのは間違いないでしょう。しかし、逆にすべてを主催者側の責任にしてしまうと、今度は、歩行者の側にモラル・ハザードが発生する可能性がでてきます。

 歩行者は、実際に被害に会う側なのだから、モラル・ハザードなど起こるわけがない、と思う人もいるかもしれませんが、歩行者と言っても、歩道橋の橋の部分にいる人と階段にいる人、あるいは、大人と子供とでは、それぞれリスクが異なっているわけで、前者の不注意で後者に被害が及ぶということがありえるわけですから、やはり、モラル・ハザードの発生する可能性はあるんですよね。

 したがって、主催者側に全責任を負わせると、社会的な負の便益はかえって増大する可能性があるので、主催者と歩行者のそれぞれに応分の責任負担を求めるべきだ、ということになるはずです。

(ただ、何万人もいる歩行者に、実際にどのように責任を分担させるかというのは難しい問題で、いっそその場にいた人全員の連帯責任にしてしまって抑止効果を狙うとか、いろんな考え方があると思うのですが、ここでは保留します。)

 ここで問題なのは、その応分の責任のレベル(注意義務)をどうやって決めるかということです。

 たとえば、道路に画鋲をばらまいていいか、というような問題なら、危険が明白な上に、そんなことをして得する人はだれもいないので、あえて法律で定めなくても、常識的な判断に任せておいてもよいでしょう。

 しかし、階段の傾斜角度は何度にすべきか、というような問題になると、話は変わってきます。おそらく、階段の傾斜角度と事故のリスクの関係は、ゆるやかな増加関数になっているはずで、少なくとも、29度までは極めて安全だが、30度を超えると突然危険になる、などというふうにはなっていないはずです。

 このような問題の場合、「いろいろ研究した結果、30度が最もコストとリスクのバランスのとれた数値であることが判明した。しかるに、この階段は31度であるから、設計者が悪い」というようなやり方をすると、誤差範囲の問題もあるし、その「いろいろ研究」するコストを誰が負担するのかという問題ももでてきます。

 もし、このような一種の法の遡及適用を当然のこととすれば、サービス提供者側にとっては、過剰品質が最適の選択である、ということになるでしょう。花火大会で言えば、本来もっと気軽に開催できるはずの花火大会が、必要以上に金のかかるイベントになり、おいそれとは開催できないものになってしまうかも知れません。

 逆に、遡及適用をしないことを当然とすれば、サービス提供者側にとっては、過少品質が最適の選択であるということになるでしょう。花火大会で言えば、本来もっと気楽に参加できるはずの花火大会が、某関西地方の祭りのような、命知らずの人だけが命がけで参加するイベントになってしまうかもしれません。

 つまり、いずれにしても、社会的便益最適の状態からはかえって遠ざかってしまのであって、このような場合には、あらかじめ人為的に標準を決めておくべきであり、当事者よりも、むしろ、必要な法整備を怠った国や立法府の責任を問うべきかもしれないのです。

 明石の事件に戻ると、主催者側の責任については、だいたい次の 3 通りの考え方があると思われます。

  1. とにかく、犠牲者が出たのだから、主催者になんらかの落ち度があるはずだ。
  2. どの程度の警備が妥当なのかはよくわからないが、少なくとも、それよりはるかに劣っていたのは間違いない。
  3. 主催者もそれなりの努力はしているが、十分な警備の水準に達していない。

 この 1 は、先に述べたとおり、考え方としておかしいと思うのです。また 2 は、問題先送りの感はありますが、少なくとも、この事件に限って言えば、妥当な判断かも知れません。

 問題は 3 の場合です。このような場合にどの程度の警備が妥当かということについて、どこまで明解な線が引けるのでしょうか? この記事には、「十分な警備」という言葉が繰り返し登場しますが、どの程度の警備で十分かは、歩行者がどのくらい注意を払ってくれるかに依存するはずです。それがもし、歩行者の不注意は予見できたはず、というような論法であれば、歩行者を動物の群れ扱いしてるようなものであって、歩行者側のモラル・ハザードを助長にすることになりかねません。もちろん、少なくとも「過剰な警備」でなかったことは間違いないのでしょうが、だからと言って、職務上の懲罰とか責任者のリコールとかではなく、「刑事責任」を問うことが本当に妥当なのでしょうか。

 まあ、専門家の方がやっていることですから、そんなこんなも考えた上のことであると信じたいですが、少なくとも、この記事を読んだ限りでは、どのような考え方で責任を認定したのかよくわからなかったので、いちおう書いてみました。

 たいへん痛ましい事故であれば、なおのこと、手軽なスケープゴートを見つけてハイおしまい、みたいなことにならないことを祈りたいと思います。

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