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外交と世論と民主主義と

 国際社会というのは、必ずしも原理原則の通用しない世界です。国際法も未熟であるし、法を執行するための制度も、しばしば機能不全を起こします。私は、その現状を無条件で肯定しているわけではなく、いつかは国際社会にもきちんとした法治主義が確立され、原理原則の通用する世界になってほしいと思うし、またいつかはきっとそうなるだろうと信じていますが、少なくとも今現在の世界がそこまで行っていないことは否定できません。

 そして、外交というものが、このような国際社会の中で自国の利益を確保するための技術である以上、そこには、単純な原理原則を超えたかけひきが必要であることも、やはり否定できないものと思われます。

 一方、日本の国内においては、一応は法的秩序が確立しているので、国民は基本的に原理原則に基づいて行動することが許されます。たとえば、国民には自由権がありますから、本人の意思を無視して他国に連れ去ったりすることは許されませんし、政府はそのような人権侵害に対する被害の回復を全力で図る義務があります。また、国民には表現の自由もありますから、そのような事態に対して、いかなる意見を表明することも許されます。

 ところが、日本はまた民主主義国家でもありますから、日本の外交政策は、最終的には、そのような世論によって決定されるわけです。そして、そのことは他国もわかっていますから、いくらかけひきなどと言っても、日本の世論を観察していれば、その方向性はある程度読めてしまうのです。これは、民主主義国家固有の外交的制約であり、日本の外交を担う者は、このことを前提として外交をハンドリングする力量を持たなくてはならないのです。

 世論は沸騰しているけれども政府は意外と冷静、というのは、外交的には案外いいバランスなのかも知れませんが、そういう構造を政争や売名の具にする人が現れる可能性もある、というのが、また難しいところです。もちろん、民主主義の国家は、そのような活動の存在すらも、制度的には許容します。民主主義は、最善の社会を保障する制度ではなく、最悪の社会を避けるための制度であり、そこでどのような政治が行われるのかは、やはり、個々人の努力にかかっているのです。

 外交において、絶対平和主義が非現実的だとするなら、絶対強硬原理原則主義も同じぐらい非現実的である可能性があります。政府には、切り札を切るタイミングを間違えないことを期待したいものです。

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