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「本当に自分の好きなことを見つけろ教」を相対化してやるっ

 珍しく攻撃的に書いてみましたが、私は、昨今のスペシャリスト偏重の風潮がどうも行き過ぎているような気がしていて、「本当に自分が好きなことを見つけるんだ」みたいなスローガンがほとんど強迫観念みたいになっている傾向にどうしても違和感を感じてしまうのです。

 先日も、「年収 300 万円時代」の森永卓郎さんがテレビに出ていて、「自分の好きなことを仕事にして暮らしていければ、収入が少なくても幸せだ」(うろ覚えなので不正確)みたいなことを言っていました。

 しかし、単に自分の好きなことを「する」だけでなく、それを「仕事にする」ためには、その仕事によって生産された財もしくはサービスを消費する消費者が必要で、消費者のニーズもないのに、単に好きだからという理由だけで仕事にすることなどできません。

 また、「収入が少ない」ということは、その収入による消費の量も少なくなる、ということなのであって、皆がこのようなスローガンを実践すれば、「好きなことを仕事にするために必要な消費者のニーズ」も必然的に減ることになるのです。

 さらに、「収入が少ない」ということは、その対価として供給されている財やサービスの量が少ないか、もしくは、市場価値が低いということを意味しています。前者は、世の中全体の財やサービスの量が少なくなることにつながり、後者は、いらないものが必要以上に生産されるということにつながります。つまり、いずれにせよ、世の中全体が貧しくなることを意味しています。

 そもそも、人間がみな、生産によって得られる所得を消費することによる効用から、生産にともなう労働の不効用を差し引いた総効用を最大化することを目指せば、社会全体の効用がある意味最適化される、というのが経済学の教えるところですが、それを、消費の効用を無視して生産の不効用だけを最適化しようとすれば、おそらく、社会全体の経済規模の縮小に向かう他はないでしょう。そうなれば、自分の好きなものを消費する自由が制限されるばかりか、「自分の好きなことを仕事にする」機会自体さえも少なくなってしまでしょう。

 つまり、「好きなことを仕事にしろ」という主張は、なんとなく聞いていると経済原則による疎外から人間性の回復を目指しているように聞こえるかも知れませんが、実は、本来表裏一体で生活を支えている生産と消費のうちの、生産の面ばかりを意識して、消費の面を無視した、生産生活重視・消費生活軽視のアンバランスな思想なのであり、同時に、社会全体のパイを縮小する典型的な縮小均衡の論理でもあるのです。

 森永さんは、「年収 300 万円になるんだから、好きなことをやらなきゃつまらない」みたいなことを言っていましたが、むしろ、「みんなが好きなことしかしなければ、必然的に年収 300 万円になるんだ」というほうが実態に近いのではないでしょうか。

 結局、確実に言えるのは、雇用機会の多さとか収入の量による制約の範囲の中で、選べるならば相対的には好きなものを選んだほうがよい、という程度のことでしかないはずです。しかるに、今の世の中では、そういう諸々の前提条件を無視して、「自分のほおぉんとおぉぉ~に好きなことを見つけろおぉぉ!」「出世よりも自己実現だあぁぁ!」「夢のある人ってステキいぃ!」(ちょっとワルノリ(^^))みたいな一面的な主張を言いすぎなのではありませんか?

 おそらく、「いい学校から大企業に入って出世するのが幸せ」みたいなことばかり言われた高度成長時代は、現在とは逆に、消費生活重視・生産生活軽視の時代だったのであり、それに対するアンチ・テーゼとしては、このような主張をすることにも意味があったのでしょう。しかし、ニートが何十万人もいるという今のような時代になっても同じことを言いつづけることは、なんかピントがずれているような気がして仕方ありません。

 今のような時代なら、私はむしろ「好きとか嫌いとかウダウダ言ってないで、なんでもいいから金になる仕事をしろ!」とか、あるいは、この言い方が下品すぎるなら、「なんでもいいから人の役に立つことをしろ!」と言いたいです(「銭金」とか見てると、ますますそう思う(^^))。

 真面目な話、そういうことを強調する人は、だいたい、社会的な成功者と目される人であったり、それにあこがれる人であったりするわけだけど、そういう人は、自分の好きなことを仕事にするという困難なことを成し遂げたからこそ成功者になったわけなんで、世の中の人がみなそれと同じことを実現できるかどうか、あるいは、無理矢理実現したらどんな世の中になるか、ということをもう少し冷静に考えたほうがいいと思います。そして、それが無理だとするなら、自分の才能に自信を持てる幸運な人を除いた大多数の人に対しては、どのような仕事にでもある、普遍的な喜びであるところの、「人の役に立つ喜び」「それでお金をもらえる喜び」「そのお金でものを買える喜び」の方をもっと強調したほうがいいんじゃないでしょうか。

 もちろん、そういう喜びに目覚めた結果として、自分の仕事が好きになるということはおおいにありうることで、そういう意味でなら、誰もが「自分の好きなことを仕事にできる」可能性はある、と言えるかもしれません。でもそれは、ある種の決断と諦念の産物であって、安直な自分探しとは別物である、ということは知っておいた方がよいと思います。

 さらに、現代では、専門性のあり方にも大きな変化があって、これがさらに「好きなことを見つけろ教」を危うくしていると思うのですが、これもまた時間のあるときに書いてみたいと思います。つづく。

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